永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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現実との検証

2011.1.5
前回からの続きです。

前回指摘をしましたが、
言葉や論理とは常に現実との検証をしていかなければいけません

ともすれば「 詭弁 」や「 言葉のもて遊び 」などにふりまわされてしまうことに
なりかねないからです。

これからいくつかそのような例をあげてみたいと思います
気軽に考えていただければと思います。


忍者は毎日、苗木を跳び越える修業をしています。その苗木が成長していくにつれその跳躍力も向上し、いずれは大木も跳び越えられるようになる

クレタのエピメニドスは言いました。”すべてのクレタ人は嘘つきである”。エピメニドス自身もクレタ人なのですから、いま言ったことは嘘だということになります。しかし、もしそれが嘘だとするなら、クレタ人は全部が嘘つきとはかぎらないことになります。

真空はあり得ない。真空とは何か?それは、そこに物体の置かれていない場所である。しかし、これは、飲めない飲み物、感ずることのできない感覚と同じように、ナンセンスである。これから明らかなように、真空はあり得ない。

④ この世に存在するものには、良さ、正しさ、高潔さなどが、類似のものよりも、多かったり少なかったりするものがある。しかし、われわれが、何らかの性質について話すときには、その性質が、最大限のものにどの程度近いかを考えているのである。例えば、物について、熱いというとすれば、それは、そのものが最も熱いものにより近いことを意味する。それとまったく同様に、この世には、最も良いもの、最も正しいもの、したがって、最も本質的なものが存在する。それゆえ、存在するものすべてよりも、あらゆる点で、より完全である何者かが存在せねばならない。これこそが神である。

(②から④の引用は20年ほど前に私が学生だったころに、大学の図書館で借りた「詭弁とパラドックス」という本から引用してつくった資料をもとにしています。作者、出版社ともに不明です。)


一つ一つの言葉や論理が間違っていなくても
全体は現実と かい離 しているということはよくあります

上記の例のように、明らかに!? かい離 している場合は分かりやすいとしても
現実なのかどうか微妙な場合は、混乱してしまうことがあります。


この微妙な例をあげるには高度な配慮が必要なので難しいのですが、

敢えて、ということで
「 本当の人間とは差別心を持たないものだ 」
という言葉をあげてみます。


この言葉は現実と一致していますか?
あるいは、現実と かい離 しているのでしょうか?
<続く>



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コメント
本当の人間
「本当の人間」の定義にも因りますが、
赤肉団上にある一無位の真人になら、当然、差別心は持たないでしょう。
その為に、禅定に入る努力をするのだと思っていますが…
難しい問題ですね♪
2011/01/06(木) 19:44 | URL | 白い月の風 #k9MHGdfk[ 編集]
Re: 本当の人間
白い月の風さん
コメントありがとうございます。

そうですね♪
まさに一無位の真人なら、差別心は持たないでしょう。

やはり
差別心とは、煩悩のひとつなんでしょうね。
2011/01/06(木) 22:05 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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