永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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猛獣使い

2010.11.12
前回からの続きです。

強大な「無意識」の力との対峙についてです。

これは、
サーカスの猛獣使いのようなイメージかもしれません。

相手の猛獣は、強力な力を持っています。理論が通じません。限定的な言葉しか理解しません。
気分屋です。おとなしければ良いのですが暴れだすとどうにもなりません。

この猛獣の扱い方。

 を与えて手なずけたり機嫌をとったり、
 スキンシップを上手にとって信頼関係!?を築いたり、
 会図を工夫して繰り返し訓練したり、
 音楽や照明などの環境を整備したり、

 時にはムチが必要かもしれません。


ありとあらゆる工夫が大切です。


「無意識」に対してもこのように
注意深く粘り強く接していくことが大切だと思います。
<続く>




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コメント
No title
こんにちは。
無意識がコントロールしづらいもので、その自覚が悟りへの1歩だというのは、このブログの丁寧な説明でなるほど!と思わされました。

それを踏まえた上でちょっとこれまでの理論の流れから逸脱するかもしれませんが、ひとつ自分の中に疑問があります。
無意識と意識は別物であり、その無自覚が人の苦しみの原因だとして、それは取り除かれるべきものなんでしょうか‥?

「2人の自分のギャップ」は苦しみの原因にも、喜びの糧にもなると思うのです。自分がわかっていないからこそ走りだせる場合もあるというか‥まともな神経なら恋愛なんて出来ませんよね?(笑
世の名作文学のほとんどはそのギャップによって成立している気もしますね。自分が創作に携わる人間だからこのようなことを思うのかもしれませんが‥。

唐突に失礼しました。
これからも刺激的な考察、期待しております。
2010/11/13(土) 06:58 | URL | 五十円 #-[ 編集]
Re: No title
五十円さん
コメントありがとうございます。

人間が人間らしくあるのは、意識と無意識とのギャップによって成立し、そのギャップから悲喜こもごものドラマが生まれる。
全くその通りでしょうね。

しかしその悲喜こもごもすべてが「苦しみ=思い通りにならない」に帰結、収束する。

だから私たちは六道輪廻を日々繰り返しているのだと理解しています。

それが取り除かれるべきかどうか。
取り除かれて「悟り」の世界へ行くことが良いのか悪いのか?

「悟り」の世界がもう少しイメージできた段階で考えてみたいと思います。
2010/11/13(土) 22:58 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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