永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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信じると良いことがあるのか?

2012.9.26
⇒前回からの続きです。


宗教を信じても!?

現実問題として、
奇跡 」は起こりえませんが、


精神的に救われて、
現実を受け入れ、あるいは、
それを神の意思として受け入れるような境地で、


心が救われる 」ことが充分ありえます


つまり、
信じれば救われる 」の本当の意味は、

世界が変わるような
奇跡 」は起こらないけれど、
私の内面が変わって
「 精神的 」に 救われる という意味です。


それを
歴史が証明していると私は思っています。


でも
私たちは、強く願っていれば叶えて欲しいという、
願い、想い、煩悩を持っていますから、

なかなかその現実は、受け入れられないものかとも感じています。



さて、究極の問いはここでおいて、
次は、

信じるどんな良いことがあるのか? 」

です。


これについて私は、
以前、

神などの宗教を信じることは、
心の拠りどころ 」となり得る!

という観点で表現をしたことがあります。

関連記事は順番で、
⇒「 信仰心 」
⇒「 夢を持ち続ける信仰心 」
にあります。


そう簡単に、夢を持ち続けることはできませんが、

神や宗教を信じることで、
それが「 心の拠りどころ 」となり、

夢の可能性を追求することができることがありえます。


このシリーズでは、
神を信じること以外についても、
夢を持ち続ける「 心の拠りどころ 」について書いていますので、


ご興味のある方は、
⇒「 心のよりどころ 」シリーズ を一通りご覧くださいm(_ _)m



ご参照はさておいて、
信じるどんな良いことがあるのか? 」



実は、
大抵の初歩的なことは、

信じて 」行えば、
信じない 」でやるよりも、

間違いなく 成功確率が高い のです。
<続く>



※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。




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コメント
No title
おはようございます。
日々、考えているとこういうふうに明快に表現出来るのですね。
(とっくに起きてはいましたが、)目が開く思いでした。

信じるものは(自らによって)救われる(ことがある)し、
努力は(場合によって)叶う(ことがある)のですよね。
2012/09/26(水) 05:41 | URL | d #X.Av9vec[ 編集]
Re: No title
dさん
コメントありがとうございます。

このブログでの表現は、
大まかな方向性や結論はもちろん事前にあって、
そこに向かって進めていっているのですが、

毎回の表現内容やエピソードの挿入など、
まさに、日々考えながら書いていますし、

皆さんからのコメントなどにも影響されますし、
自分が当初考えていなかったようなことを思いつくことが多いです。

「 目が開く思い 」
何より嬉しいコメントです。
ありがとうございますm(_ _)m

信じれば必ず叶うとか、努力すれば必ず達成できるというのは、
やはり、私たちの願望であって、現実の姿ではありません。

仰る通り、
救われることがある、達成できる場合がある。です。

この現実、事実をありのままに見ようとする姿勢(=正見)が、
とても大切だと思っています。
2012/09/26(水) 10:32 | URL | 建岳 #-[ 編集]
タイトルが気になって・・・
タイトルと内容が気になって、つい興味本位で開いてしまいました。

急な訪問、どうか御勘弁下さい。

内容は楽しかったです、気にせずパスして下さいね。
2012/09/26(水) 18:10 | URL | ななこ #-[ 編集]
Re: タイトルが気になって・・・
ななこさん
コメントありがとうございます。

興味本位で覗いていただいてありがとうございます。
励みになりますっ!
2012/09/26(水) 20:43 | URL | 建岳 #-[ 編集]
No title
こんにちは
この世でおきている奇跡とか心霊現象とか呼ばれる事柄のほとんどは、科学と心理学と大脳生理学で説明がついてしまって、説明がつかない部分は、まだ科学的に解明されていないだけなのではないかとずっと子供の頃から信じ込んでいる、理屈っぽいSakulanboです。

↓のアウグシュビッツの収容所で餓死刑の身代わりになった神父様の場合は、奇跡が起きなかったのではなく、そのような形で(つまりご御自身の命が助かる形で)神の栄光を顕すことをお望みにならなかったからなのではないかと思います。「一粒の麦もし死なねば...」に近いものがあるかと。
あ、なんか言っていることが矛盾してますが。

「信じて」行うのとはちょっと違いますが、瓶の蓋があかない時とか、キッチンのディスポーザーが壊れかけて大変な時、最初の数回はうまくいかないのですが、「わあ、大変、神様、助けてください!」と半ば習慣でお祈りした直後にうまくいく確立が、なせか非常に高いです。でも、完全に詰まっちゃった場合はまったくダメで、全部分解して掃除する羽目になりますが(笑)
2012/09/28(金) 15:48 | URL | Sakulanbo #ZPPmqLno[ 編集]
Re: No title
Sakulanboさん
コメントありがとうございます。

私も、奇跡と呼ばれるものは全て、
科学などが説明し尽くすときがくるのだろうと思います。
私も、理屈っぽい副住職と周りに呼ばれております f(^_^;)

また、
アウシュビッツで亡くなった司祭の心境は、
おそらく「 私の命を救ってほしい 」ではなく、「 私の命と引き換えに多くの命を救ってほしい 」
だったと思います。

けれども、
キリストの神もユダヤの神もその後、
何百万人もの人々が殺されてしまうのを止めることはなかったわけです。

その解釈を、
まさか、その何百万人の人が全て、信仰心が足らなかったからそうなってしまった。
と言うわけにはいきませんし、

最終的に( 信じられないほどの犠牲の果てに、ようやく )

ナチスは滅びたから、
それが神のご意思であり奇跡だというのもかなりの無理があると思います。

ですから、
奇跡というものは、やはり起こらないと考えるのが自然なのかもしれませんね。


蓋のお話は、よく分かります♪

次に書きたいのは、ある意味、
身近で簡単なことは、神様にお願いすると叶いやすく、
難しいことは、神様にお願いしても叶いにくい(叶わない)です!
2012/09/29(土) 08:34 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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