永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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信じれば救われるのか?

2012.9.22
⇒前回からの続きです。

戦時中、
ユダヤの子どもたちが、

ナチスに追われて、誰も居ない教会に逃げ込みます。

まだ、
年端の行かない小さな女の子が、
マリア像に尋ねます。


「 ねえ、神さま。私たちの神さまは、どこに行っちゃったの?

  私たちの神さまは、今、いないから、
  私たちは逃げ回らなくちゃいけないの。

  早く出てきてくれないかしら? 」


その映画の結末は忘れてしまいました。
が、そのシーンは鮮明に覚えています。


果たして、神を信じれば救われるのか?



ホロコーストなど、
この世の地獄を目の当たりにしたユダヤ教のある生存者は、

「 神は存在しない 」ということが分かったと発言しています。


一方、
アウシュビッツ収容所では、キリスト教の司祭が
自ら餓死刑者の身代わりとなり、祈りの中で死を迎えました。



仏教の観音経では、
「 ・・・
  あるいは巨海に漂い流されて、龍魚緒鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ずれば、波浪も没むことあたわず。
 ・・・
  あるいは悪人に逐われて、金剛山より堕落せんに、彼の観音の力を念ずれば、一毛をも、損ずることあたわじ。
  あるいは各刀を執りて、害を加うるに値わんに、彼の観音の力を念ずれば、咸く即ち慈心を起さん。
  あるいは王難の苦に遭い、刑に臨み壽終らんとせんに、彼の観音の力を念ずれば、刀尋いて、段段に壌れん。
  ・・・ 」

海に漂流しても、観音さまの力を念ずると、波が静まったり
悪い人に追われても、観音さまの力を念ずると、髪の毛一本も失うことがなかったり
刀を振り回して襲われようとしても、観音さまの力を念ずると、悪人が慈心をおこして改心したり、
死刑となってまさに刑が執行されようとしても、観音さまの力を念ずると、刀がこなごなになってしまう。

などなど、
観音さまの力を念ずればたちどころに改善されるという内容のお経があります。
この観音経はよく法事の際などに幅広く詠まれています。



本当に、
神や仏を信じれば、このような「 奇跡 」が起こって、
私たちは救われるのでしょうか?



それらの「 奇跡 」は、
宗教誕生以来ずっと、
私たちの願望、空想、神話、物語、映画などで、
まことしやかに語り続けられていますが、


イマジネーションの世界でそれらは可能でも、


残念ながら、現実問題
その「 奇跡 」は起こりえません。



「 奇跡 」が起こって救われることはないけれど、


アウシュビッツで獄死した司祭のように、
「 神 」に抱かれて亡くなるような境地になるならば、

ようやく人は神に救われるということになるのでしょうか?
<続く>



※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。




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コメント
No title
こんにちは
何を持って奇跡と呼ぶかでしょうね。
モーゼが神に導かれてイスタエルの民をエジプトから連れ出した時に、海が割れてそこを歩いて渡ることができたと書かれていますが、あの当時のあの地域では、偏西風か何かの関係で、風向きによってそのような現象の起きることがあったと聞いたことがあります。同様に、川の氷が割れてあやうく流されるところだった子供に向かって、無我夢中の母親が「水の上を歩いて戻ってきなさい」と叫んで、実際に子供がそのようにして川を渡って助かったケースがあるとか。
奇跡は、それを強く信じている人にしか起こりません。
聖書でも「ああ、信仰の薄い者たちよ」とイエス様が嘆いていますので、凡人には奇跡は起こらないということですね。一部の新興宗教の信者の方々は否定されると思いますが。
2012/09/24(月) 10:56 | URL | Sakulanbo #ZPPmqLno[ 編集]
No title
こんにちわ。いつも興味深いブログ、
楽しませてもらってます。
信じる事ってそう簡単な事ではありませんよね。
いろいろと疑念も湧いてきてしまうのも人間です。
100パーセント信じきった時に
奇跡は起きるのかもしれませんね。おか~やんでした。
2012/09/24(月) 11:57 | URL | きなりM&O #-[ 編集]
No title
こんばんは^^
ご無沙汰しております。
新しいパソ買いました。
あまりのサクサク感に感動して遊びまくってました(笑

僕も某宗教が苦手です。
うにゃうにゃ唱えれば全てが上手く行って幸せになれるとか。
そんな他力本願な。

まぁ、それでその人が救われてるっていうならそれでいいんでしょうけどね。
2012/09/24(月) 23:40 | URL | うるちん #-[ 編集]
Re: No title
Sakulanboさん
コメントありがとうございます。

確かに、
「 奇跡 」全てがあり得ない作り話ではないと思っています。

モーゼのお話のように、状況によって可能であったことに、
デフォルメが加味されて伝わっているのだと考えられますし、

仏教にも同じように考えられる伝説があると思います。

ただ、
その「 奇跡 」と「 信じる 」ことに因果関係があるのか?
については、私は一考の余地があると思っています。

その点については、
何らかの形で表現をしたいと思っています。
2012/09/25(火) 09:58 | URL | 建岳 #-[ 編集]
Re: No title
きなりM&O おか~やんさん
コメントありがとうございます。

こちらこそ、
いつも広大な北海道の雰囲気などに癒されております。

そうですね。

なかなか「 奇跡 」は起きなくて、
100%信じた時に起こって欲しいという、一種の願望が私たちにはあると思います。

けれども、例えば、
アウシュビッツで獄死した司祭は、
99%までしか信じていなかったから、奇跡は起こらなかったのかと考えることにも無理があって、
(少しでも疑念があったら、嘆き苦しみ、うろたえてしまうと思います)

100%信じて、安らかな死に至ったけれども、
奇跡は起こらなかったことが事実だと私は思っていますがいかがでしょうか。

平凡な私には、そこまで信じきるということ自体、本当に難しいことですね f(^_^;)
2012/09/25(火) 10:11 | URL | 建岳 #-[ 編集]
Re: No title
うるちんさん
コメントありがとうございます。

信じることで救われることとは、

何らかの奇跡が起こるのではなく、

信じきることで、精神的に全てを受け入れる境地に至って、
その本人のみが救われるという意味だと私は思っています。

それに尽きるかと。

ですから、
そのことを、他の人にまで適用しようとする試みが、
宗教の危険性だと思います。

私の思いとしては、
特定宗教についてではなくて、

多くの宗教に共通している
信じることについての危険性について述べていきたいと思っています。
2012/09/25(火) 10:18 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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