永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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悟りを求める修行僧の心理

2012.3.17
⇒前回からの続きです。

臨済禅師は何を悟ったのでしょうか?

「 師匠・黄檗に何発も叩かれ続け
  大愚禅師に「なんて親切に教えてもらっていたのだ」と言われた瞬間に悟ったこと。」

このエピソードを繰り返し読んでも、
単に叩かれただけで一体何を悟るというのか?

本当に、不思議なお話です。


しかし、
このエピソードは、創作や架空のものではありません。
実在した人実際のエピソードなのです。


「 悟りとは、普通の人では分からないから悟りなのだ 」
「 悟った人でしか、その境地は分からない 」

と言われて、そのままにしてしまっていることがあります。


もちろん、
「 悟りは普通の人では分からない 」のでしょうが、

裏を返せば、
悟りをひらくその寸前までは、普通の私たちと同じ思考をしていたはずですから、
そこまでは、それなりに想像がつくのかもしれません


あえて、
私なりにその解説を試みようと思います。


臨済禅師は修行中何を考えていたか?
臨済禅師は叩かれていた時に何を考えていたか?

師匠・黄檗は何を伝えたかったのか
師匠・黄檗が叩き続けていた時に何を思っていたのか?

そのような観点で、
臨済禅師の悟りの場面を振り返っていきたいのです。



さて、
当時の修行僧、臨済禅師は何を考えながら修行をしていたのでしょうか?
多くの修行僧がそうだったように、

「 どうしたら悟りをひらけるか? 」
「 悟りとは何か? 」
「 私は悟って、この混迷する人々を救いたい 」
「 真面目に修行をすればいつか悟りに辿りつく 」
「 悟りをひらいて、素晴らしい人になりたい 」
「 師匠・黄檗に認められたい 」
「 自分なりに努力をしているつもりだけれど、私が悟りをひらくために足らないことはなんだろう 」

というようなことを考えながら、ひたすら真面目に修行に励んでいたのだと思います。


悟り 」という、
明確にはなっていないもの、
何だかつかみどころのない目的に向って努力する心理状態とは、


例えば、
オーディションで主役を射止めたいと思って努力すること、

芥川賞や、芸術賞など、
受賞を目指して作品を生みだそうとすること

コンテストで優勝を目指すこと、
などに似ているかもしれません。


自分が思う最高の作品を生みだしても
努力したからといっても、確実に報われるという保証が無い


それを評価する人がいて、
一体どんなものが素晴らしいのか?
自分自身が試行錯誤しながら掴み取っていくような心境


一体、
「 悟り 」とは何なのか?
どうしたら認められるのか?


そのような心境で、
師匠・黄檗のもとへ悟りの奥義を尋ねに行ったのだと思います。
<続く>





関連シリーズ
⇒「 もうひとりの自分・無意識 」





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コメント
No title
こんにちは
臨済禅師が悟られたこと、
なんとなくわかるような、わからないような...
続きを楽しみにしています。
2012/03/18(日) 11:04 | URL | Sakulanbo #ZPPmqLno[ 編集]
No title
こんばんはヽ(●´∀`●)ノ
ご無沙汰しております。

なんだか毎回「ご無沙汰」「お久しぶり」と書いてる気がしますがw^^;

ちょっとばかり立て込んでおりまして、
書きたいことは有るのですが、なかなかまとまりません。

不定期で更新しますので、たまーに覗いてみてください^^

ではでは。
2012/03/18(日) 23:02 | URL | うるちん #-[ 編集]
Re: No title
Sakulanboさん
コメントありがとうございます。

臨済禅師の悟り、
内容のコンセプトは頭の中にあるのですが、
その表現方法は、その都度考えながらしていまして、
時間がかかってしまいます(汗)

私なりの解釈を、私なりに表現したいと思っています。
2012/03/19(月) 09:34 | URL | 建岳 #-[ 編集]
Re: No title
うるちんさん
コメントありがとうございます。

立て込んでいるのは、
お忙しいのは、何よりです♪

更新楽しみにしていますよ♪
2012/03/19(月) 09:36 | URL | 建岳 #-[ 編集]
No title
急いで答えを出そうとしたり、結果を求めて走り続けたりするのは人間の悪い癖ですね。私も迷い続けて年を重ねています。やっと自分のことが同でもよくなってくると、今度は子供たちのことで迷いだす。人類がなかなか進歩しないのはこんな理由からだとも思うのですが…
2012/03/19(月) 21:05 | URL | あやみ #-[ 編集]
感想
自分の今ある様子がどんなものであれ、100%出来上がったもの完成された様子であった。ただ自分の気に入る自分に仕上げたい気持ちがあって、今の自分とくらべると、どうしてもまだ駄目なような気がするけど、気がするだけで、ほんとはみんなちゃんとしているのでは。
2012/03/20(火) 22:21 | URL | あきすて #RCpz3PVU[ 編集]
Re: No title
あやみさん
コメントありがとうございます。

仰るとおり、
人は、すぐ迷ってしまいますね。
これからどうしたら良いのか? 本当はどうしたら良いのか? これは間違っているのではないか?

結果を求め続けてしまうことが、人間の本性であり、人間の煩悩であり、まさに迷いでしょうね。

人は、本質的に苦しむようになっているでしょうね。
私もどっぷりその人間の本質に浸かっています(汗)

文明やシステムが進化しても、人類は進歩しないのかもしれませんね。
進歩しない人類をうまくコントロールできる文明やシステムができたなら良いのでしょうか?

考えはじめると思いが尽きませんね・・・。
2012/03/20(火) 23:36 | URL | 建岳 #-[ 編集]
Re: 感想
あきすてさん
コメントありがとうございます。

そうですよね。
今ある様子こそ、100%完成されている。

私たちは
常に、今、自分が良いのか悪いのか考えて、改善していくように教育されてきたからなのか、
もともと、生まれつきそうなのか?

ある意味、常に飢えています。
「今のままではだめだ。もっと向上しないと、豊かにならないと、便利にならないと」
なかなか、今ある様子を受け止め、満足することができません。

社会的に「ちゃんとしていること」と
仏教的な「ちゃんとしていること」は
何か大きな違いがあるのだと思っています。
2012/03/20(火) 23:46 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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