永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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奇跡の!?時

2011.12.26
前回⇒からの続きです。


私は
高校生のとき、
陸上部に所属していました。

5,000mとか10,000mなど
長距離走の選手でした。


あれは、
2年生の夏のことだったと思います。


その日はたまたま、
その陸上部の大会と、
全国統一実力テストが重なってしまい、

全校生徒は
学校でその実力テストを受ける中、

私たち陸上部だけは
そのテストを持ち帰って、
自宅で、自分で時間などを計りながらテストを受け
そして提出するという、

特殊な実力テストになってしまったのです。



そして、
私は、昼間、
陸上部の大会で、
5,000mを一生懸命走り、
(特に優秀な成績はおさめられませんでしたが、(汗))

くたくたになっていたのです。


そして、
家に帰って
食事をとっていたあたりからだと思うのですが、

何かいつもと違った雰囲気を感じるようになりました。

周りがなんだか
とても静かで、清々しく澄みきったような空気。


もちろんきっと、
いつもと変わらず、雑音などあったはずなのですが、


たぶん私が、
疲れきっていて、
なんだか何も考える余裕がないような、

あるいは、
身体の疲れきっているのに心地よい、


妙に心が、まさに、落ち着きはらっていたのです。



そして
いざ、実力テストに取り組み始めると、

問題が不思議なぐらいに解ける

「 あれ? なんか調子いいな。 」

時間も忘れるくらい問題に集中していて、
危うく時間オーバーするくらい。



結局、その後、
実力テストの結果が返ってくると

いつも
成績順位は中ぐらいだったのに、

その時だけ、数学が、なんと、学年の2番
(他の科目は忘れましたが、悪くはなかったと思います)

しかも
正答解答例とは、別のやり方で正解を導き出していたりして、


「 本当に自分がしたことなのか? 」
ととても不思議に思ったこの出来事が、強く印象に残っているのです。


この私にとって
とても貴重な体験は、

後にも先にもこの一度きりなのですが、


今振り返って思うことは、

原因が何かは特定できませんが、
とにかく
普段のテスト受験のときとは、全く違った精神状態であったことは確かです。

普段のテストでは
「テストいやだなー」
「問題わからん」
「難しい」
「あと残り時間はどれだけだろう」
「このテスト終わったら何しようかな」
など、

ありとあらゆる思いが頭を駆け巡りながら、
問題に向かっていたような気がします。


しかし、
その奇跡の!?ときだけは
そのような、自身の思いが何も無く煩わしくなく何の思惑も無く
ただ、清々しさを感じながら!?
問題に向かっていたのみなのです。


人の思いとは、
実は、
人が本来持つ能力最大限発揮する上で、

障害となってしまうものなのではないか?



まさに、この体験こそ、
スポーツメンタルの「ゾーン」のような
(この「心のよりどころ」シリーズを書き始めたきっかけでもある
 週刊少年マガジン「ベイビーステップ」でふれられています)

ものなのだろうと感じています。


そして、
私たち仏教者が目指す「 悟り 」とは、


いつでも
この「 ゾーン状態にあること、

あるいは
いつでもこの「 ゾーン 」状態になれること

なのではないかと思っています。



そして
正しい坐禅修行などによって、その境地に近づいていくことだと思います。




これで、
「心のよりどころ」シリーズの終了です。
皆さんの
体験、ご経験はいかがでしょうか?



関連記事⇒「心のよりどころ」シリーズ






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コメント
No title
こんにちは
「心が落ち着き払っている」という感じ、
過去に何度か経験したことがあります。
不思議な、けれどとても心地よい体験ですね。

実は、最近、日常的にそんな精神状態に
なっているんじゃないかと思うときが多くて
同時に、周囲のものごとが少しずつ変化して
いて、実はとってもとまどっています。
「落ち着き払っている」というのと「とまどっている」
というのは相容れない感覚ですけどね。
「落ち着きは払っている」という感覚が、自分で
思っている程には恒常的なものではないせいでしょうか。
2011/12/27(火) 03:56 | URL | Sakulanbo #ZPPmqLno[ 編集]
No title
私にはまだ、そんな精神体験はありませんが、
坐禅をやっていて、自分が「目」だけになったように感じた事があります。
その後は、いつもより、落ち着きが出、間違え勝ちな乗り換えも、
すんなり、何も考えなくとも身体が自然に動くような感覚になった事があります。
いつも、こういう感覚だといいなぁと思いながらも、
なかなかそこまで行かないのが現実です。
2011/12/27(火) 22:18 | URL | 白い月の風 #k9MHGdfk[ 編集]
Re: No title
Sakulanboさん
コメントありがとうございます。

「心が落ち着きはらっている」という経験は、
私の場合一度きりですが、
本当に心地よく、不思議な時間でした。

なかなかその時間は再現できるものではないなぁと感じてますし、
僧侶とは本来、
そのような状態を自らしっかり体験していないといけないとも思っています。

ですので、
的確なお話をする自信はありませんが、
その「戸惑い」さえも「落ち着きはらって」味わうことが、
有りうるのではないかと思いました。

実際には、
なかなか、まさに究極の境地のお話だと思います。
2011/12/27(火) 23:45 | URL | 建岳 #-[ 編集]
Re: No title
白い月の風さん
コメントありがとうございます。

本来は、
坐禅修行で充分経験するべきことだと思うのですが、
私の場合、なかなか到達できる境地ではありません。

偶然、何かの弾みに、というものですが、

「悟り」を思考する上での
何かの手がかりになり得るのではないかと思って、書きました。

いつも
こんな感覚だったらいいなぁと

人本来の力を十分発揮できる状態を作り出せたらいいなぁと

私も感じています。
2011/12/27(火) 23:51 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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