永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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人間の性(さが)

2011.2.26
前回からの続きです。


「 人間だけは他の動物と違って崇高なもの 」 だと
私は過去に、教えられたことがあるような気がします。


 そして人間は
 差別心や、ねたみ、嫉妬などの悪い感情を、克服するべきである!

 いや克服できるっ

 それが人間の正しい姿だ!


よくそのような論調が世の中溢れていますね。



でも一方、

 人間は何千年たってもちっとも成長しない
 同じ間違いを繰り返してばかりいる(諦)


この立場からの指摘も非常に多いですね。



皆さんは
どちらの立場で考えることが多いですか?



それぞれの立場でその理由や根拠がありますが、
私は昨日のブログで、もちろん、


人間の性(さが)はちっとも成長しない


と書いたのです。


そしてそれは、
シマウマウマなれないように
人間が持つ変えられない宿命的な性(さが)なのだと。


良くも悪くも人間という種が持つ性質は変えられないのだと。



それではどうするのか?


シマウマウマできないのであれば、
必要に応じてシマウマを飼育するように、


人間の性(さが)を変えられないのであれば、
必要に応じて、その(さが)を飼いならすしかないのです。



この問題は、
「 悟り 」を目指していく、我々仏教者にとっても
深刻なテーマだと思っています。
私自身その答えを模索しているところです。




(昨日のブログの補足です)






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コメント
おはようございます
シマウマは私達の煩悩かもしれませんねi-227
2011/02/27(日) 07:56 | URL | ショウセイ #BKAF9FeE[ 編集]
Re: おはようございます
ショウセイさん
コメントありがとうございます。

まさしくシマウマは、私たちの煩悩なのかもしれませんね。

とすればやはり、
私たち仏教者は、煩悩を滅して悟りを目指すもの。

つまりウマを目指していくもの。
人間本来が持っている性(さが)を乗り越える試みをするのだと思います。
2011/02/27(日) 10:21 | URL | 建岳 #-[ 編集]
性を飼いならす
こんにちわ。

「性を飼いならす」とっても大切なことのように思います。

同じ状況であっても、不幸と捉える人もいれば幸福と捉える人もいる。

今回のニュージーランドの地震でも、
旅行者が地震に遭遇して、
「こんなときに地震に遭遇するのはついていないなぁ」と思うか、
「命があって本当についていた」と思うか。

自分がどんな状況でも、
考えることや思うことは自分で選択できますよね。
それも性を飼いならすということでしょうか?

僕は煩悩に負けてばかりなので、
性を飼いならせるように楽しみながら前進していきたいです。

また気づきをくださいまして、ありがとうございます。
感謝、感謝、感謝。
2011/02/28(月) 11:44 | URL | ぜん #-[ 編集]
Re: 性を飼いならす
ぜんさん
コメントありがとうございます。

>自分がどんな状況でも、
>考えることや思うことは自分で選択できますよね。

素晴らしいです!そうなんです!
捉え方の問題につきるんです。

人間の性(さが)をほっておくと
とんでもない捉え方になってしまったりして苦しんだり、
いつも同じ間違いを繰り返してしまうんです。

まさにその人間の性(さが)を調教することが
仏教の目標なんですね♪

気づきだなんて恐縮してしまいますが(汗)
これからもよろしくお願いいたします。
2011/02/28(月) 15:52 | URL | 建岳 #-[ 編集]
No title
こんばんは^^

ああ、分かります分かります(笑
僕も
「失敗して、賢くなったつもりで、同じ失敗を繰り返す。
人間とは愚かでいて、それでいて可愛いなぁ」って思ってました。
少し上から目線ですが^^;

建岳さんの記事には、いつも、うんうん、と共感させられます。
2011/02/28(月) 23:19 | URL | うるちん #-[ 編集]
Re: No title
うるちんさん
コメントありがとうございます。

共感頂いて嬉しいです♪

人間とは、本当に不思議なもので、
わかっているようで、全然自分自身のことを理解できていないと
感じさせられることがよくあります。

是非、いろいろ教えて頂けたらと思います。
2011/03/01(火) 11:54 | URL | 建岳 #-[ 編集]
長文質問失礼致します。
はじめまして。
大変興味深く拝見させていただいております。
†zoffy†と申します。
読解能力に乏しい私が読んだ感想ではありますが、
人間はその性質として、他のものに対する嫉妬やねたみ等を持ってしまう、
との事ととってよろしいでしょうか。
私の個人的見解と致しましては、人間はもとより自由な存在であり、
ねたみ、嫉妬などは個人個人の自由のぶつかり合いによって生まれるものと認識しております。

人間の本質とは何か、と考えますと、
本質的に嫉妬やねたみ、差別心を他に対して持つ存在であり、それが人の性である。
とするには些か早計とはいえないでしょうか。
確かに煩悩は日々シマウマのごとく暴れまわっており、それを調教し飼いならす事が大事、と言う見解には賛成なのですが、しかし、それが本当に人の本性、性でしょうか。
私はそうは思えません。
たとえば、電車の席をお年寄りに譲る、他人が困っていたら助けたくなる。
実質的になんら自らへの得もないにもかかわらず、
他を助けたくなり、そして自らが他の役に立てれば喜びを感じる。
それらの行動は、親や教師等にそういう風に生きなさい、などと教えられたからしたくなるのでしょうか。
私は、そうではなくこれらも人間が本質的に持つものだと思います。
人間の性とは、他への嫉妬やら何やら負の感情を持ってしまう事よりも、
他の役に立つ事を自らの喜びとできる、人間本来の輝きのようなものだと思います。
不躾でなければ、見解をお聴かせ願えないでしょうか。

初コメのくせに長文、そして駄文失礼いたしました。
2011/10/17(月) 19:39 | URL | †zoffy† #znncokzg[ 編集]
Re: 長文質問失礼致します。
†zoffy†さん
コメントありがとうございます。


仏教では、一切皆苦(全ては苦しみである)といいますが、
「人はいつも、苦しみとともにある」。

もちろん、楽しいことや、嬉しいことなどもありますから、
苦しみばかりではないと思うかもしれませんが、

それは、たまたま、
楽しかったり、素晴らしいこともありますが、実は、それすら苦しみの種になる。

もう、全ては苦しみばっかりなんだということです。


それが人なんだと。


その苦しみが、いろいろな条件下で、さまざまな形で表面にあらわれるのが、
人間関係で言えば、争いや妬み、嫉妬などになると考えています。


全くフラットな、ニュートラルな状態から、単なる利害関係などで争いが起こるのではなく、


もっと根元的な、本質的な、
人、本来が持つ争いの種、「苦しみ」と「その苦しみを解消したいという願い」。

この人間の持つ習性、性(さが)をなんとかできないものかと 考えています。


お答えになっているか自信がありませんが、
どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
2011/10/17(月) 22:13 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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