永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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人は根拠のない言葉ほど頑なに信じ、また、神聖な言葉を作りたがる。

2011.1.20
前回からの続きです。

これまで
「 ウサギ と カメ 」から始まって
「 詭弁 」
「 差別心 」
「 親を大切にする 」
「 昆虫 」
「 ニワトリ と タマゴ 」
「 選挙 」まで

さまざまな例をあげて
私たちが 現実と「 次元が異なる 」言葉にとらわれ
言葉に振り回される危険性について見てきました

こうしてみると
結構、くどいくらい例をあげていますね(汗)


 いかに私たちが無意識のうちに、気付かないうちに
 言葉にとらわれてしまっているのか?

 身の回りに溢れすぎてしまっていて、気付けないのか?


そんな想いがあってこの「 言葉の次元シリーズ!? 」を書いてきたように思います。


そして、
これも毎回繰り返しているのですが

仏教では、
言葉に振り回されず、「 ただ現実を生きる 」という、悟りの境地を目指しているのです。
そうすれば、人間とは切っても切り離せないと思われた「 苦しみ 」を克服することができるという教えです。

「 悟り 」を目指すこととはこのように
普段の私たちの生活とは、全く別の、ある意味全く質の違う生き方を目指すものなのです。
そのイメージを持っていただけたら と思います。



このシリーズの最後!?に
2つ疑問を投げかけたいと思っています。

その1つ目
「 人は何故非合理根拠のない言葉ほど(かたく)なに信じてしまうのか? 」

信じることが、頑なになればなるほど、実はその根拠があいまいで非合理だと思うことはありませんか
根拠の不明な占いなどに、より信じてしまいたくなる自分を感じることはありませんか?
合理的な言葉つまらなくて魅力を感じないのは何故でしょう?


2つ目
「 人は何故、『 神聖な言葉 』を作ろうとするのか? 」

どんな言葉でも、状況が変われば使い物にならず、
本当は常に冷静に現実との検証を行って言葉を使わなければならないのに

正義や理想などの 『 神聖な言葉 』 を安易に生み出し、その言葉を振りかざし
どうして疑問を差し挟むことすらできない状況をつくりだしてしまうのか



私は
この2つの投げかけについての答えを


残念ながら、持っていません


本当に不思議なことだと思っていますし、
だからこそ、人は苦しみ続けるのだとも感じています。




この厄介な人間の性質の理由と対応策などを、


ご存知の方がみえたら
是非教えていただければ と思っています。
<続く>



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コメント
No title
こんばんは^^

僕は最近日本で流行る言葉が嫌いです。
「勝ち組負け組」「自己責任」
現実はそんな言葉でカテゴライズ出来ないと思うのですが、
そんな言葉を振りかざす人たちは如何なものかと。
2011/01/21(金) 00:08 | URL | うるちん #-[ 編集]
Re: No title
うるちんさん
コメントありがとうございます。

今の日本は
高ストレス社会そして総ヒステリック社会だと思っています。
いつも正しさだけを求められ、
少しでも間違えようものなら、弱みを見せようものなら徹底的に痛めつけようと
社会全体が虎視眈々と狙っている、本当に病んだ社会だと思います。

その病んだ社会が発信する言葉がまさしく
「勝ち組負け組」「自己責任」だと思います。

一見綺麗で正しい言葉も、人を傷つけるために使われてしまうことが多いとも思います。

宗教家として、人として
健全な社会の在り方を模索していきたいと思っています。
2011/01/21(金) 20:55 | URL | 建岳 #-[ 編集]
鍼灸の世界のお話
私の師匠である、横田観風先生は、患者さんの主訴を勿論、聞きますが、
主には、ご自分の手をかざす事に因って、診断、治療方法をお決めになります。
これこそ、「言葉に振り回されない治療」だと、私が思う所以です。
だからこそ、一生をかけてこの道を行くと決めたのですが。
その為に、禅を根底に取り入れられ、
ご自身も福富雪底老師のお弟子でいらっしゃいました。
(一昨年だったか、福富老師はお亡くなりになられました)
そして、「鍼禅をやりなさい」と、言われたそうです。

それをご自身の公案として、工夫、努力なされ、
今の「いやしの道」の会が運営されつつあります。
出来上がる、という事は無く、常に、常に、上を目指して行きますから、
そういう表現になるのですが。

そういう意味で、私達が患者さんの診断をする時に、
「言葉に頼らない」という「手の感覚」を、
私は「不立文字」だと、思っています。

一般の鍼灸院は、痛いところ、気になる所を聞いて、
其の場所、あるいは、その痛みや症状に効くといわれている
ツボに鍼を刺すという方法が普通です。

そこが、私達の目指す治療と、違う部分なのです。
私が、坐る、というのも、その意味からです。
言葉に惑わされない、聞こえない「身体の声」を聞く為の一つの方法なのです。
2011/01/21(金) 23:26 | URL | 白い月の風 #k9MHGdfk[ 編集]
Re: 鍼灸の世界のお話
白い月の風さん
コメントありがとうございます。

本当の名医は聴診器一本で神業のような診察をすると聞いたことがあります。
禅を極めるとある種の能力、あるいは人間が本来持っていた能力を最大限引き出すものだと感じています。

白い月の風さんは日々まさに目指され、修行、切磋琢磨されているのですね。

本来であればわれわれ禅僧が、禅を受け継いでいかなければならないのですが・・・。

鍼灸の世界で本物の禅が受け継がれていくことに、大きな希望を持ちます。
2011/01/22(土) 00:48 | URL | 建岳 #-[ 編集]
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