永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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人形劇団 『むすび座』 公演のお知らせ

2012.8.26

すっかりご無沙汰しておりまして申し訳ありません。
ブログの更新の仕方もひさしぶりすぎて覚束ないほどです f(^_^;)
お盆とお施餓鬼などがひと段落しましたので、
また、どうぞよろしくお願いいたします m(_ _)m


さて今回は、永正寺イベントの告知です。

来月の9月16日(日)14時より
人形劇団『 むすび座 』の公演が行われます♪

むすび座2012

今年で3回目の公演です。

今回は、
いっすんぼうし 」と、
カッタン ゴトゴト プッポッポ 」( どんなお話なんでしょうか? )
です。


入場料は500円で、
幼児、小学生及びその保護者の方が対象です。



是非お越しくださいね!



また、永正寺ではその他にもコンサートなど行事を予定していて、それぞれ後日告知する予定です。
詳しくは、⇒永正寺ホームページをご覧くださいm(_ _)m





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躾(しつけ)の目的と効果

2012.8.29
⇒前回からの続きです。


前回、躾の大切さについて書きましたが、

躾とはつまり、
私たちの主導権を握っている「 もうひとりの自分・無意識 」を教育することなのです。


ただ、
その「 もうひとりの自分・無意識 」を教育しようと思っても、

なかなか思い通りにはいきません


例えば、
いたずら大好きな子どもは、
「 いたずらはダメだよ! 」とソフトに言うだけでは、大抵の場合、余計に面白がってしまいます。


理屈でいくら
「 その いたずら をすると、他の人の迷惑になるからやめなきゃだめでしょう? 」
といっても、その理屈を理解できないのですから効果がありません



そんな時はみなさん、どうしますか?


強く叱ること大きな声で叱ること。
あるいは、叩いて言うことをきかせようとするかもしれません。


これらの行為とは、実は、
意識 」に働きかけるのをあきらめて
直接 もうひとりの自分・無意識 」に働きかけるということなのです。



もうひとりの自分・無意識 」にとって、
言葉や理屈はなかなか理解できなくても、

大きな音や、身体の痛みについては とても敏感 です。


なぜなら、
その危険信号を見逃してしまえば、一番大切な「 生命 」を脅かす重大な局面を迎えることになりかねません。


その危険を少しでも察知すれば
私たちは反射的に、本能的にその回避行動をとるものです。


それが
「 もうひとりの自分・無意識 」の大きな作用です。



そして一度その
重大な危険が「 もうひとりの自分・無意識 」に刻み込まれた場合、

次はその気配を感じるだけで
敏感にその回避行動をとるようになったりもするのです。




これが躾のしくみの一つです。


つまり、
言葉や理屈が通じにくい相手に対して、
危険信号を直接無意識に伝えることによって

その本能的な危機回避行動を利用し
それを 定着化させることによる教育 が躾の一つなのです。




そして、その効果については、


私たち自身の成長過程、子育てなどを通して、
経験的に私たちは、既に充分知っているはずなのです。



知っているはずなのですが、


私たち人間は、ペットや動物と違い、
言葉の通じる、理性を持った人間だから、

「 話せば必ず通じる
「 怖がらせてはダメ 」
「 分かるまで、理解するまで、言葉で繰り返し話すことのみが教育 」
真心は(いつか)通じる 」
「 体罰はありえない

などの、言葉のみによる理想的な教育論だけが正しいことのように頑なに思い込まされてしまっているのです。



これらは、
現実の正しい姿を「 正見 」(しょうけん)しているものだと思えません。

私たちの
~であったらいいな 」という願望や夢が込められた、イマジネーション上の姿です。



人は、
「 意識 」に言葉だけで働きかけて、簡単に思い通りになるようなものではありません。



本当の現実の私たちを正しく「 正見 」するのであれば、


『 人は、ペットとは違って
  確かに言葉や理屈を理解し、時にその通り行動することができることがありますが、

  実は、そのペットと同じように言葉や理屈を理解できない、
  「 もうひとりの自分・無意識 」が主導権を握っていて、

  なかなか思い通りにならないものです。 』


となると思うのです。
<続く>





※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。


関連シリーズ
⇒「 もうひとりの自分・無意識 」





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「 もうひとりの自分・無意識 」教育の位置づけ

2012.8.30
⇒前回からの続きです。


もうひとりの自分・無意識 」は、私たちの主導権を握っています。

がしかし、
私たちはそのことになかなか気づくことができません


教育でも、心の問題でも、

もちろん仏教でも、
その「 もうひとりの自分・無意識 」に気づくこと


そしてその「 もうひとりの自分・無意識 」と、
どのように接して、アプローチして、

どうやって教育し、良好な関係を保っていくのか? 


これが人間が現実を生きていく上で、本質的な命題だと思うのです。



ですから、
現在の教育を取り巻く環境で、

ともすれば、
その「 もうひとりの自分・無意識 」の教育が
軽視されてしまっている現状について、心配をしています。



人間とは、
「 この内緒話は誰にも話さないでね! 」と顕在意識に働きかけると

話したくてしょうがなくなる衝動にかられるという
逆効果になってしまうことがありますし、


勉強しなさい 」と言われれば言われるほど
勉強したくなくなるのが人間の一面でもあります。


「 話せば必ず伝わる 」「 ストレスを与えてはいけない 」など
ストレスを与えない言葉だけの教育で本当に人間教育ができるのか?



まれに
才能とメンバー、時の運などに恵まれたカリスマ教師などが、
その教育スキルを駆使し、
素晴らしい理想的な人間教育、学級運営ができることがあります。


しかし
だからといって、
素晴らしい教師は誰でもそのようなことができるはずだ!と


基準を飛躍させてしまうことは問題です。


普通の教師はそんなスーパーマンのようなことはできませんから、
その高い基準と理想に振り回され

悪くすると、学級崩壊を招いてしまいます。



現在の教育問題の本質は、
学校と家庭ともに、ここにあると私は思っています。


人間は誰しも
顕在意識 」と「 もうひとりの自分・無意識 」とがあって、

教育とは、
その両方ともを教育しなければならないのに、

「 もうひとりの自分・無意識 」の大きさに気付かず、
顕在意識の教育のみに偏重してしまっていることに問題があります。


むしろ、
人格の主導権を握っているもうひとりの自分・無意識 」の育成に重点が置かれるべきだと思うのです。


万引きしようと思ったけど、良心の呵責で思いとどまった 」
というお話がありますが、それは、

顕在意識 」で悪いことをしようと思っても、
もうひとりの自分・無意識 」の教育がしっかりしていたお陰で思いとどまることができたということです。



前回、
躾(しつけ)を取り上げて「 もうひとりの自分・無意識 」の教育法を取り上げましたが、
次回もう少し、その教育法について述べたいと思います。
<続く>




※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。


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