永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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新年明けましておめでとうございます。

2011.1.2

遅くなりましたが、
新年明けましておめでとうございます。

立華001

               ≪ 松一式立華 住職:水谷大定 2010.12.24制作・撮影 ≫



永正寺の年賀状でも利用しました。
永正寺護持会報より住職の解説部分を抜き出します。

『 「 盆栽 」「こんな良い枝振りの松を惜しげも無く伐って。」と誤解されている人があります。
  長年手入れされてきた名松が枯れた時 収集して倉庫に保存しておいてあります。
  この枯枝を細工して 不足部分は繋ぎ 余分は切り 
  枯れ枝を池坊華道の伝統の立華に組上げます。
  葉先の短い本物の松枝を合い釘(両方がとがっている釘)をつかって枯れ枝に差込み
  本物の松枝のように見せるわけです。花を立てるというイメージより
  電気ドリル グラインダー のこぎり ノミを使う工作です。
  今回はじっくりと取り組んで 長年の道楽の集大成にしたいと思っています。 』



皆さまにとって2011年が良い年となりますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。




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うさぎのお話

2011.1.3
前回からの続き。というか番外編です。

今年は卯年ということで
「 ウサギ 」に関係する!?お話です。

「 ウサギ は カメ を追い越せない 」
というお話があります。


『 絵のように
ウサギ が カメ より後ろにいるところから、カメ を追い越そうとした場合、①

うさぎとカメ1

カメの進むスピードよりウサギが速ければ 当然、追い越すことができます

現実は明らかにそうです



しかし、次のような考え方をすると混乱してしまいます


最初にカメがいた位置までウサギが到達するには、必ず「 時間 」がかかります。②

うさぎとカメ


その時間の間に、カメが例え遅いスピードで進んでいたとしても、
必ず少しは前に進みます

すると両者の間に必ず距離が出来ます。③

うさぎとカメ2



そうなるとどうでしょうか?


また一番最初の絵に戻るのです①へ



そして、またその距離分をウサギが進む時間の間にカメは前に進みます。
また両者の間に距離が出来てしまうのです。

この①~③の繰り返しで、いつまでたっても ウサギ は カメ を追い越せないことになります。 』



このお話、元のお話は ウサギ と カメ ではなくて
有名なパラドックスのお話だったと思います。


ウサギとカメのスピードの違いのイメージとぴったりですので
そうさせていただいています。


このパラドックスのお話、
「 ウサギはカメを追い越せない 」というばかげたお話

そして不思議!?なお話。


みなさんはどう思われますか?
どんなことを感じられますか?


そして、

仏教とどのようにつながるのでしょうか?
<続く>



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「 ウサギはカメに追いつけない 」

2011.1.4
番外編の続きです。

「 ウサギ は カメ を追い越せない 
というお話。

もちろん現実は明らかに
ウサギ は カメ を追い越します

しかし、
「 ウサギ が、カメがいた場所に行くまでにかかる時間に、カメは必ず少しでも前に進むから追いつくことができない 」

という論理自体の間違いを指摘することができるでしょうか?


実は、この間違いを指摘することは非常に困難なはずです。


なぜなら、ウサギ が カメ に追いつく本当に寸前までの時間帯に限ってみれば
この論理は全く正しいからです


その限られた時間帯にしか通用しない論理を、

「 ずっと追いつけない 
時間的に飛躍させてしまっているのです。



これは
「 言葉や論理は、限定された条件のもとで成立するもので、
  もともと、全ての現実に対応できるようにできていない 
からなのです。

あるいは、
言葉や論理は、そもそも現実の一部分、一断面を、限定的に表現しているにすぎないからなのです。


例えば
「 人を好きになることは素晴らしい 」と言えば
とても正しいことのように思いますが、

これは、お互いに想いあう関係で成立するのであって
一方的な強い想いで、結果的に相手の心を傷つけてしまったり自分自身を苦しめてしまったりする場合は、

その好きな気持ちを抑えたり、捨てることも必要になってくるでしょう。


また、
「 体を鍛えるトレーニング 」も
体調が良い時にやれば効果的ですが、悪い時にやれば逆効果です。


実はこれと同じようなことが
私たちが気付いていないだけで本当に非常に多いのです


言葉や論理は、現実と イコール ではありません。
むしろ
私たちの知らないうちに現実とかけ離れてしまうものです


そのことに私たちはなかなか気づくことができません


言葉や論理とは、常に冷静で綿密な現実との検証が必要なものなのです



逆にいえば
「 言葉や論理にとらわれると現実を見失う 」
のです。


徹底的に現実を見つめ続ける
「 仏教 」は
この言葉と論理の危険性を知っています


言葉にとらわれるなっ


この境地
「 不立文字 」( ふりゅうもんじ )というのです。
<続く>



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現実との検証

2011.1.5
前回からの続きです。

前回指摘をしましたが、
言葉や論理とは常に現実との検証をしていかなければいけません

ともすれば「 詭弁 」や「 言葉のもて遊び 」などにふりまわされてしまうことに
なりかねないからです。

これからいくつかそのような例をあげてみたいと思います
気軽に考えていただければと思います。


忍者は毎日、苗木を跳び越える修業をしています。その苗木が成長していくにつれその跳躍力も向上し、いずれは大木も跳び越えられるようになる

クレタのエピメニドスは言いました。”すべてのクレタ人は嘘つきである”。エピメニドス自身もクレタ人なのですから、いま言ったことは嘘だということになります。しかし、もしそれが嘘だとするなら、クレタ人は全部が嘘つきとはかぎらないことになります。

真空はあり得ない。真空とは何か?それは、そこに物体の置かれていない場所である。しかし、これは、飲めない飲み物、感ずることのできない感覚と同じように、ナンセンスである。これから明らかなように、真空はあり得ない。

④ この世に存在するものには、良さ、正しさ、高潔さなどが、類似のものよりも、多かったり少なかったりするものがある。しかし、われわれが、何らかの性質について話すときには、その性質が、最大限のものにどの程度近いかを考えているのである。例えば、物について、熱いというとすれば、それは、そのものが最も熱いものにより近いことを意味する。それとまったく同様に、この世には、最も良いもの、最も正しいもの、したがって、最も本質的なものが存在する。それゆえ、存在するものすべてよりも、あらゆる点で、より完全である何者かが存在せねばならない。これこそが神である。

(②から④の引用は20年ほど前に私が学生だったころに、大学の図書館で借りた「詭弁とパラドックス」という本から引用してつくった資料をもとにしています。作者、出版社ともに不明です。)


一つ一つの言葉や論理が間違っていなくても
全体は現実と かい離 しているということはよくあります

上記の例のように、明らかに!? かい離 している場合は分かりやすいとしても
現実なのかどうか微妙な場合は、混乱してしまうことがあります。


この微妙な例をあげるには高度な配慮が必要なので難しいのですが、

敢えて、ということで
「 本当の人間とは差別心を持たないものだ 」
という言葉をあげてみます。


この言葉は現実と一致していますか?
あるいは、現実と かい離 しているのでしょうか?
<続く>



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差別心を持たない?

2011.1.6
前回からの続きです。

「 本当の人間とは差別心を持たないものだ 
という言葉は、現実と一致しているのか?
あるいは かい離 しているのかどうか?
というお話でした。


これと似たような言葉を、私たちは日常でよく使うのではないかと思います。


あくまで
私の個人的な見解との断りをさせていただきますが、

先にあげた ウサギ と カメ のお話と同じように

「 限定された条件のもとでは現実と一致しているし
  それ以外では かい離 している 」のだと思います。


例えば
聖人のような人と、悟りを開いたような人などは
差別心のようなものを克服した高度な心境にたどりついていて、
そのような心は持っていないのでしょうし、

しかし、
その他の多くの人にとっては、
本人が自覚しているかいないかはありますが、
多かれ少なかれ差別心を持っているのだと思います。


( 「本当の人間」という言葉に一般の人を含めるのかどうかで
  がらりと内容の解釈が変わってしまいますが・・・ )


ですから、
「 本当の人間とは差別心を持たない 」を前提に、そうそう他人を批判できませんし
自分の差別心に気づいたからといって、自分の心を傷つけるほど深刻に落ち込む必要もないと思います


「 本当の人間とは差別心を持たない 」に振り回されず

 今ある差別心を認識し、いかに克服昇華していくのかという立場に立つことが大切だと思います


冷静に考えてみますと
私たちは、現実かどうかわからない言葉にとらわれて
苦しんでしまっていることが、たくさんあるのではないでしょうか?



今回一連のブログの表現に大変苦労しています。
私自身の思考の未熟さが原因であることを痛感しています。
分かりにくくて本当に申し訳ないです。
<続く>



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