永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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低ストレス社会のつくり方

2012.11.17


私たちが日々を過ごしている現代日本社会は、
非常に大きなストレスを抱える、

高ストレス社会 』になってしまっていると感じています。


うつ病などの精神疾患が、

厚労省によって、
5大疾病の一つとして数えられるようになりました。



どうしてこのような状況になってしまっているのか?



本当に様々な要因があって、
いろいろな角度から分析ができますし、


その分析をもととした改善方法もさまざまなものがあると思います。


私は、これから、
無縁社会 」「 自己責任 」「 個人の自由、権利の拡大 」
というようなキーワードなどを用いながら、


また、
仏教的な考え方をもって、


その分析と改善方法を探っていきたいと思っています。


前回のブログ「濃い味かうす味か?」もその一つですし、
私のブログ自体もそのコンセプトで書いているのですが、



まだ、
全体としてどのようなボリュームになるのか、
そして、
どんな内容になるのか、分からないところもあります。


何故、私たちの社会は「高ストレス社会」になってしまったのか?
私たちはどのような考え方をもって
低ストレス社会を作り上げていけばよいのか?


そして、
社会全体のストレスを軽減することで、
精神疾患の予防と減少をすすめていきたいと思っています。



どうぞ、
よろしくお願いいたします。
<続く>



※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。




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すべての人にとっての無縁社会

2012.11.19

数年前、
何気なくNHKの番組を見ていたら、

無縁社会 」を特集していました。


私は、当時、
「 無縁社会 」と言えば、
高齢者 ひとり暮らし になってしまって、

近所、地域とのつながりも無く、
ひっそり
孤独死 」をしてしまうことだけだと思っていました。


現在でも
その問題の状況は変わらず深刻ですが、


その番組の切り口は、
30代(20代)の女性にスポットをあてていました。


若い人でも無縁社会なの? 」
驚きながら見てみると、

都市部に住むその若い女性
子どもを出産されて、

いろいろ育児に不安を抱えたり、
悩むことがあっても、

頼る友達相談する知り合いがいない。
親に相談するにしても電話で聞くしかなく、

心細い


都会の中で大きな不安を抱えながら
孤独を感じる

という内容で、

「 なるほど、
  昔は親と同居が多かったから、
  困ったり、悩んだりしたら
  すぐに頼れたり出来たけど、

  今の時代は、それがなかなか難しいんだ。

  若い世代でも、
  無縁孤立しているんだ 」

ととても納得したのです。


そして、
その女性は、同じような悩みを持つママ友と、
サークルを作って、

時々集まって、
おしゃべりをして、

不安や悩みを話したり、
情報交換ができるようになりました。


「 ふ~ん。同じ立場の人たちで
  集まることって、とっても大切なんだ。
  問題が解決して良かった。 」

と素直に思っていたら、


その次の場面。


私にとって
忘れられない衝撃的なシーンが展開されました。


それは、
そのサークルでは、
面白い取り組み をしていると紹介され、

会合の時などに、
会員同士で、ある人からある人に、


わざと

例えば、窓ガラス掃除などの
頼みごとをするのです。


そうすると、
窓ガラス掃除をした人が、

その後、

今度は自分の頼みごとを、
お願いしやすくなるんです!



という活動でした。


「 え~っ! 」

私たちは、
他人にお願いすること、頼むことができない

その仕方かわからない。


そうか、本当だ!
  考えてみれば、僕も凄く心当たりあるし、
  周りの皆もきっと同じだっ! 」


いや、
私たちは、むしろ

迷惑になるから、頼んではいけない 」
と思っているし、


「 自分自身が自立して
  自分自身の能力で、
  自分自身の責任で、

  周りの人に迷惑をかけずに、

  ちゃんと立派に生活をしなければならない 」


そう思っている。
強烈な強迫観念のように思っている。


確かに、
責任を持って自立して努力をすることは素晴らしいけれど、

困った時に誰にも助けを求められない私たちって。。。


無縁社会とは、
単に縁がないだけじゃなく、

お互い心の牽制をしあって、
より疎遠になってしまっている私たち


年齢や性別など関係ない、
今、日本にいる全ての人に関わる、


とてつもなく大きな問題だと
その時、気づかされたのです。
<続く>



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なぜ、無縁社会になってしまったのか?

2012.11.25

突然、
ダイレクトメールが届くと、

「 一体、どこから、
 私の名前住所が分かったんだろう? 」

と訝(いぶか)しむことがあります。


個人情報の取り扱いは、
保護法が施行されてからその取り扱いの厳格化
他目的利用の禁止など、

個人のプライバシー権の象徴のように
扱われるようになりました。



けれどもその一方で、


障害を抱えた姉妹
相談に市役所を訪れて、

その相談内容がプライバシーだから他目的使用はできないと、

同じ市役所内にも関わらず、
生活保護担当部署に情報がいかなかった結果、


その二人ともの孤独死を招いてしまったニュースがありました。



地域のお祭りなどの関係で、

役所へ行って、
同年生まれの人の名簿を作ろうと尋ねても、
昔は、当然のように教えてもらえたことが、

今は全くできません。



そもそも、
名簿」というものそのものが、
その会員の同意が必要で、何の目的で、誰の目に触れる可能性があるのか?

決して部外者に見せてはならないことになっているので、
おいそれと気軽に作ることもできなくなってしまいました。



そのお陰で!? 私たちは、

他の誰からも干渉を受けないで、

法律や著しく他人に迷惑をかけない範囲であれば、
個人の自由を満喫して過ごす生活を手に入れることが出来ました。


ただし、
自己責任 」で。


「 無縁社会 」の原因は、
ライフスタイルの変化、都市への人口流入、核家族化、少子高齢化、地域社会の崩壊など、
さまざま取りざたされています。

それら全てが
「無縁社会」の原因であることに間違いはないのですが、


私はこの、
プライバシーの尊重、個人情報の取り扱いに現れている、


個人の自由が最大限認められ
できる限り、他人からの干渉を受けないという意識

あるいはそのシステムこそが、
最も大きな原因だと思っています。



そして、
私たちが、私たち個人の自由を追い求めてきた結果
無縁社会 」となり、

実は、
その「 無縁社会 」が原因となって、

新たな不自由苦しみが発生してしまうこと。


そして出来上がってしまった「 高ストレス社会 」。



相矛盾する結果、現実。
「 色即是空、空即是色 」



その「 無縁社会 」の問題について述べていこうと思います。
<続く>



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プライバシーの無い時代

2012.11.28


今ではなかなか考えられませんが、

昔は
プライバシーという考え方概念がそもそもありませんでした


あそこのところの夫婦は仲が悪い。今、大変だそうだ! 」

噂は
人に口に戸は立てられないと、
当然のごとく、さしたる悪気も無く、
家の周りに知れ渡っていました


「 あそこの息子は出来が良い
「 あのやんちゃ坊はどうにもならん 」


となり近所、地域で、
言わば、「 個人情報共有グループ 」が出来上がっていたのです。


だから昔は、
教育の躾の問題や、夫婦の問題などについても、

近所の人が心配したり
忠告や諌めにいくことがあったり、


醤油が足りなければ、
ちょっとお隣にもらいにいったり、
おかずが余ったら、
「どうですか?」と配ったり、

子どもが悪さをしていたら、
近所のガンコ親父!?が怒ったり、


何も用事が無くても、
隣の家に上がりこんで、話し込んだり、将棋をしたり、


ちょっと子どもの面倒を見て欲しい
と隣の家に預けたり、



結構そんな日常が、
当たり前にあったらしいのです。昔は


さすがに私もリアルタイムでは、
あまりその実感はない世代だと思いますが、
今よりは余程、「ご近所さん」付き合いがあったと記憶しています。


また、
映画や落語などでその様子が伺えます。



今の、
個人情報完全!?秘密主義の時代には考えられないことです。



もちろん、
昔は良いことばかりだったと懐古主義でもありません。


周りの目が気になって、
自由に生活が出来ずに息苦しい

地域のしがらみで、
様々な行事ごとへの参加や役員、世話役をしなければならない。

個人的な問題に他人が介入してくる

結婚相手が本人の意思と関係なく決まってしまっている。


など、
様々な問題もあっただろうと思います。



しかし私には、
今のこの個人情報徹底!?秘密主義とは、


私たちの
本来の人間性を踏まえると、

非常に危険な社会システムではないかと思えます。


次回以降、
その辺りを述べていくつもりです。
<続く>



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「思いやりの心」の限界

2012.12.9


思いやりの心 」は大切です。


様々な事件が起こるたびに、
あるいは
身近なことでも、

他人の苦しみや悲しみを理解すること、
共感することなど、

あらゆるところで
思いやりの心が大切だといわれています。


場合によっては、
「 思いやりの心を持てないのは、人間じゃない鬼や畜生だ


などと言われることがあります。


しかし、
これほど「思いやりの心」が大切だと強調されても、
つい自分優先で考えてしまったり、

なかなか
簡単に出来ないからこそ、

余計に
「 思いやりの心 」の重要性が叫ばれているのかとも思います。


教育的課題でも、
どうしたら「 思いやりの心 」を育成することができるのか?
政治的課題でも
どうしたら「 思いやりの心 」を育む社会を作ることができるのか?


ちょうど
選挙を行っていますから、
候補者の中には「 思いやりの心 」を訴えている方もいると思います。


どうしたら、
他人の苦しみや悲しみに共感する心、
理解する気持ちが生まれるのか?


「 思いやりの心 」の大切さを一生懸命に説き続ければ
私たちは皆、本当に「思いやりの心を持つことができるでしょうか



実は、
私たち自身をよく振り返って考えてみますと、


私たち人間というものは、
そもそも、

私自身」と、私を含めた「身内」のことしか、
そのままその苦しみや悲しみを味わうことができません

もともとそうなっているのです。

つまり、
別の言い方をすると、

他人の苦しみや悲しみについては、
そもそも共感できず理解もできない性質を、私たちは持っているのです。


こう言うと、

「 そんなことはありません。
  私はちゃんと他の人の痛みや悲しみにちゃんと共感できています。 」

と感じられるかもしれませんが、



そういう方にこそ、是非、
次にあげる例を通して、
自分自身の心についてよく振り返ってみていただきたいと思います。



まず、
私自身の苦しみ、痛み、悲しみについて想像してみてください。

失恋した」「怒られた」「病気をした」「怪我をした」「お金がない」

これらの感情は、
実際に私自身が大いに苦しみを味わうことが想像できます。



そして次に、今度は
身近で大切子ども、親、恋人などの身内について、

同じように
「失恋した」「病気になった」「失業した」
などと想像してみます。

すると
自分自身がなった時とほぼ同様な衝撃や苦しみを感じることがありますし、

場合によっては、私自身の苦しみ以上のものを味わうこともありますし、

大切な身内に大きな危険が迫っていれば、
思わず身を呈して守ろうとしたり、
できればその苦しみを替わってあげたいとさえ思うものです。


人間の本能の一面です。



では、次に、
全く赤の他人」について同じように想像してみてください。

果たして
全く同じように感じることができるでしょうか?

私は、
身を呈してその危険を回避しようとするのか?
本当にその苦しみについて自然に共感できるようになっているのでしょうか?


さらによく、素直に、
自分の心を観察してみると、


他人の苦しみについて共感するということは、

実は、
その他人の苦しみを
私が同じ目にあっていたらと思うと辛い 」
大切な身内のことだと思うと悲しい 」

決して他人事だと思えない

などと、瞬時に、
自分、あるいは身内の苦しみに変換して
あたかも私の苦しみのごとく共感する仕組みになっていることに気づかないでしょうか?


つまり、
私たちは、私自身と身内の苦しみについては自然に共感することができますが、

私たちは、「他人の痛み」を直接感じることはできないのです。
それを自分のことのように置き換えて初めて、間接的にその痛みに共感ができるものなのです。


ある意味、
思いやりの心 」にあふれている人とは、
つまり、他人の痛みをあたかも私自身の苦しみに変換する能力の高い人であり、

「 思いやりの心 」が無いといわれる人は、
その置き換え能力が低いということなのです。



この
他人」と「身内」についての私たちの心の決定的な断絶
その本質的な人間性について、正確に理解をすることが大切だと思っています。



さて、
大変長い前置きで申し訳ありませんが、、、


本当に長くなってしまったので次回に続きます。
<続く>



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