永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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宗教の仕組みと危険性

2012.9.20

宗教とは、「 信じること 」。

街頭で
「 あなたは、神を信じますか? 」
と尋ねられたことがあるようなないような。


この世の中、
たくさんの宗教といわれるものが存在しています。


たくさん宗教がありすぎて!?
どんな宗教が何を言っていて、どんな神を信じるのか?

無宗教と言われる日本人には、
なかなか詳しくまではわかりません。


いろいろな宗教それぞれが、
「 この神様を信じると、きっと良いことがありますよ! 」
という感じのことを言いながら、


あるいは、悪くすると一部の宗教は、
「 この神様を信じないと、悪いことがおこるかもしれませんね 」
などと入信の勧誘を行っているのだと思います。


さて、本当に
信じるものは救われる 」のでしょうか?

本当に、
信じればご利益があるのでしょうか?
<続く>



※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。




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信じれば救われるのか?

2012.9.22
⇒前回からの続きです。

戦時中、
ユダヤの子どもたちが、

ナチスに追われて、誰も居ない教会に逃げ込みます。

まだ、
年端の行かない小さな女の子が、
マリア像に尋ねます。


「 ねえ、神さま。私たちの神さまは、どこに行っちゃったの?

  私たちの神さまは、今、いないから、
  私たちは逃げ回らなくちゃいけないの。

  早く出てきてくれないかしら? 」


その映画の結末は忘れてしまいました。
が、そのシーンは鮮明に覚えています。


果たして、神を信じれば救われるのか?



ホロコーストなど、
この世の地獄を目の当たりにしたユダヤ教のある生存者は、

「 神は存在しない 」ということが分かったと発言しています。


一方、
アウシュビッツ収容所では、キリスト教の司祭が
自ら餓死刑者の身代わりとなり、祈りの中で死を迎えました。



仏教の観音経では、
「 ・・・
  あるいは巨海に漂い流されて、龍魚緒鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ずれば、波浪も没むことあたわず。
 ・・・
  あるいは悪人に逐われて、金剛山より堕落せんに、彼の観音の力を念ずれば、一毛をも、損ずることあたわじ。
  あるいは各刀を執りて、害を加うるに値わんに、彼の観音の力を念ずれば、咸く即ち慈心を起さん。
  あるいは王難の苦に遭い、刑に臨み壽終らんとせんに、彼の観音の力を念ずれば、刀尋いて、段段に壌れん。
  ・・・ 」

海に漂流しても、観音さまの力を念ずると、波が静まったり
悪い人に追われても、観音さまの力を念ずると、髪の毛一本も失うことがなかったり
刀を振り回して襲われようとしても、観音さまの力を念ずると、悪人が慈心をおこして改心したり、
死刑となってまさに刑が執行されようとしても、観音さまの力を念ずると、刀がこなごなになってしまう。

などなど、
観音さまの力を念ずればたちどころに改善されるという内容のお経があります。
この観音経はよく法事の際などに幅広く詠まれています。



本当に、
神や仏を信じれば、このような「 奇跡 」が起こって、
私たちは救われるのでしょうか?



それらの「 奇跡 」は、
宗教誕生以来ずっと、
私たちの願望、空想、神話、物語、映画などで、
まことしやかに語り続けられていますが、


イマジネーションの世界でそれらは可能でも、


残念ながら、現実問題
その「 奇跡 」は起こりえません。



「 奇跡 」が起こって救われることはないけれど、


アウシュビッツで獄死した司祭のように、
「 神 」に抱かれて亡くなるような境地になるならば、

ようやく人は神に救われるということになるのでしょうか?
<続く>



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信じると良いことがあるのか?

2012.9.26
⇒前回からの続きです。


宗教を信じても!?

現実問題として、
奇跡 」は起こりえませんが、


精神的に救われて、
現実を受け入れ、あるいは、
それを神の意思として受け入れるような境地で、


心が救われる 」ことが充分ありえます


つまり、
信じれば救われる 」の本当の意味は、

世界が変わるような
奇跡 」は起こらないけれど、
私の内面が変わって
「 精神的 」に 救われる という意味です。


それを
歴史が証明していると私は思っています。


でも
私たちは、強く願っていれば叶えて欲しいという、
願い、想い、煩悩を持っていますから、

なかなかその現実は、受け入れられないものかとも感じています。



さて、究極の問いはここでおいて、
次は、

信じるどんな良いことがあるのか? 」

です。


これについて私は、
以前、

神などの宗教を信じることは、
心の拠りどころ 」となり得る!

という観点で表現をしたことがあります。

関連記事は順番で、
⇒「 信仰心 」
⇒「 夢を持ち続ける信仰心 」
にあります。


そう簡単に、夢を持ち続けることはできませんが、

神や宗教を信じることで、
それが「 心の拠りどころ 」となり、

夢の可能性を追求することができることがありえます。


このシリーズでは、
神を信じること以外についても、
夢を持ち続ける「 心の拠りどころ 」について書いていますので、


ご興味のある方は、
⇒「 心のよりどころ 」シリーズ を一通りご覧くださいm(_ _)m



ご参照はさておいて、
信じるどんな良いことがあるのか? 」



実は、
大抵の初歩的なことは、

信じて 」行えば、
信じない 」でやるよりも、

間違いなく 成功確率が高い のです。
<続く>



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信じると成功するのか?

2012.9.30
⇒前回からの続きです。

物事を成功させるには、
心の落ち着き 」が必要です。


歌の発表会など、
多くの人の前でアガッテしまってはうまくいかないでしょうし、

スポーツの世界でも、
「 負けてしまうかも 」 「 勝てるかも 」

心が動揺しているとなかなか成果を出すことが難しいものです。


私たちは、
どんなことでも、

「 成功するだろうか? 」
失敗したらどうしよう 」
「 みんなに(失敗したら)笑われるんじゃないか? 」


心が動揺していると、
自分の持っている能力、自分の実力を、
100%発揮することできなくなってしまいます。


どんなことでも、
心が動揺してると、当然、うまくいきません。


だからと言って、
動揺してはいけない 」と
自分に言い聞かせようとしても

余計に心臓がバクバクしてしまったり、
考えなくてもよいことを考えてしまったり、
心が落ち着かなくなってしまうのが、私たち人間です。


私たちは誰しも、
私の主導権を握っている厄介な「 もうひとりの自分・無意識 」を抱えているのですから、
なかなか私自身を思い通りにコントロールすることが難しいのです。


実は、そんな時、
心強い味方になってくれるのが、

」です。


「 落ち着け、落ち着け 」
と自分に言い聞かせても、なかなか落ち着かないのに、


不安で不安でしょうがないけど、
神さまどうかよろしくお願いします。 」
と願うだけで、

誰でも、不思議心がスッキリします。



これは、
私では受け止めきれない、抱えきれない、背負いきれない不安や問題を、

私とは比べものにならない聖なる存在である 」に、
( もちろんそれが「 」でもいいのですが )

委ねてしまう預けてしまうことで、


大きな 精神的負担を解消できる という仕組みなのです。



絶体絶命のピンチに登板した
リリーフピッチャーが、

大ピンチを切り抜けたときの精神状況について、


「 打たれたらどうしようと不安になりましたが、
  こんな大変な局面で、僕を起用した監督が悪いんだと思ったら、

  開き直って投げられました。 」


ということがよくあるのですが、
この良い意味での「 開き直り 」という精神作用と共通しています。



前回のブログで私は、

信じて行えば
「 信じない 」でやるよりも、

間違いなく 成功確率が高い と書きましたが、


それは、


成功させることに必要だけれど、
なかなか思い通りにならない心の落ち着き 」は、

「 神 」を信じることによって
「 仏 」に委ねることによって、

得られその結果、

自分の実力が発揮され
成功確率が高まるということなのです。



この、
信じると心が落ち着いて、成功確率が高まる 」

という精神作用は、
宗教の共通の仕組みです。


ある意味、だからこそ、
私たちにとって宗教は必要であり、

だからこそ、
宗教が広がり、これまで途絶えることなく存在している一つの理由となっています。



けれども宗教は、
次の段階に入ると、

実は、共通の「 危険性 」が出現するのです。
<続く>



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神様、仏様のファン心理

2012.10.3
⇒前回からの続きです。


前回、

信じると心が落ち着いて、成功確率が高まる 」
という精神作用が、
宗教の共通の仕組みだと述べました。


これは、
身近で、控えめで、自分自身限定の望みであれば、

「 神を信じること 」で、
かなりの成功確率になると思います。



私たちは、
宗教に入りたての時などに、、

これらの控えめな願いが叶えば、
とても嬉しい気持ちになります。

そして、それを、
何度が繰り返すほど、

その神様のファンになります。


「 神様が私の願いを叶えてくれました。ありがとうございます。 」
「 これからもどうぞよろしくお願いします。 」

「 この神様を信じれば、私は大丈夫な気がします。 」
「 神様、次は是非、この願いを叶えてください。 」



場合によっては、

「 私は、この神様に選ばれているに違いないっ! 」
「 私は、この信仰を守って、どんな困難にも耐え抜きますっ! 」

という程までに行きつきます。



成功体験が続けば続くほど、
神様、仏様を好きになればなるほど

それにつれて、

私たちの欲望も大きくなっていくものです。


この
私たちの願いの肥大化こそ、


実は、
宗教の危険性の大きなポイントなのです。
<続く>



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