永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

名前の力

2012.1.21

子どもの頃よく読み、
とても印象的だった童話の一つに、

だいくおにろく」があります。

ある大工が、
ある川に橋を架けようとするのですが、

その川は流れがとても強くて
何度橋を架けようとしても押し流されて失敗を繰り返してしまって困っていたところ

その川から大きな鬼が現れて
しっかり丈夫な橋を、一日でその鬼が造ってくれるかわりに、
大工の両目を鬼にあげる約束をしてしまいます。

翌日、見事な橋が出来上がって
約束通り、大工は両目を渡さなければならなくなってしまいましたが、

その鬼の「 おにろく 」という名前を言い当てた途端
鬼は川の中に沈んでいって!?しまい、それっきり、

両目を取られずに済んで、めでたしめでたし


というようなストーリーだったのですが、


当時!?
鬼や怪獣退治と言えば、
ウルトラマン仮面ライダーなどのヒーローが、
必殺技を繰り出して、

悪い怪獣が爆発して
木端微塵にとび散る映像が目に焼き付いていたからなのか?

「 何で名前を!?言いあてられるだけで!?
  鬼は降参!?してしまったんだろう?」

と子ども心に強く不思議に感じていました。


それからかなり年月を経た今でも、

名前や名称は、単に人やモノや現象などに、人間の都合でラベルを貼るだけの行為であって、
そのことによって、現実は影響されないと思ってしまいたくなるのですが、

まさに、
たかだか名前されど名前

名前、名称の持つ不思議な!?力について
これから考えていきたいと思っています。
<続く>





「ご訪問いただいた方へ」
一日一回、3つのランキングボタンをそれぞれクリックしていただくと有り難いです。


ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

反抗期

2012.1.26
前回⇒からの続きです。

名前というものは、

私たちが住む世の中に、
まず厳然とした現実や事実先にあって

それにたまたま!?人間が便宜上つけるだけの行為であって、

そのたまたま名前をつけるかつけないか知るか知らないかで、
現実は影響されるはずがない

と、私は
思ってしまいがちです。


たかだか「 おにろく 」という鬼の名前がわかっただけで、
「おにろく」が降参してしまうのはおかしいし

たとえ
目の前にいる○○さんが、△△さんになったとしても、
○○さん自身は変わらないはずだし、

あるいは
目の前にあるパソコンが、別の名前になったとしても、
パソコン自体の性能が変わるわけでもなく、壊れるわけでもないはずです。


名前をつけたり、変えることで、
現実は影響されないのだと、

私は思ってしまいたくなるのですが、
皆さんはいかがでしょうか?


ここで、
名前をつけることによって
現実は影響されうるという一例をあげてみたいと思います。


私は小さなころ、
両親や身近な人から叱られた時

その理由に納得ができなかったり、
自分が仕方なくしてしまったような時には

もちろん反論や 言い訳
自分なりの主張をしていました

そして、
多くの場合は
その私の主張の矛盾点や甘さを指摘され、
再びより一層怒られるようなことになりますが、

それにしても、
一応にしろ両親は、
その私の主張を一旦は聞いてくれていたのです。

そして、
弁明の機会を与えてくれていたのです。


しかし、
私には、とてもストレスを感じる時期がありました。

それこそがいわゆる
「 反抗期 」です。


中学生になったこの時期、
私がいつものように!? 叱られ

いつものように
自分なりの主張、反論を試みます。


するとこの時期の両親や周りの対応は、
それ以前とは全く異なるものになっていました。


「 健(私の呼び名)は、反抗期だからな 
「 反抗期だから仕方ない 

全く聞いてもらえません。
私が何を言っても、
親への反抗と捉えられて、門前払い。

弁明の機会すら与えられないのです。


当然ストレスがたまって
「 ふざけるなー! 」
と大声でも出そうものなら、まさに反抗期そのものです。


私は当事者である当時から、

本当に「 反抗期 」とは存在するのだろうか

戦国時代なら元服するような年齢で、
「 反抗期 」もなにもあったものじゃないし、

もし、仮に
「 反抗期 」という言葉が、この世の中になかったとしても
今と全く同じ状況がつくりだされるだろうか

むしろ、
「 反抗期 」という言葉があるせいで
その現象を引き起こしてしまっているだけじゃないか?

と感じていたのです。



もちろん、今の私は
「 反抗期 」という現象は、
人が精神的に成長する過程で充分起こり得るし、必要なモノでもあるとも思っています。

しかし、
その「 反抗期 」という言葉を、
多くの人が共有してしまうことで、

やはり、
現実が影響されてしまう側面も忘れてならないと思います。


つまり
ある現象に名前をつけることによって、
よりその現象が促進されてしまうということ。


「 婚活 」「 援助交際 」など、
単に現象に名前がつけられただけにとどまらず、
その名前をつけてしまったことによって、よりその現象が促進されてしまった可能性。


たかが名前、されど名前、
名前がもつ影響力とは、
決して侮れないものだと思っています。
<続く>



⇒関連記事「名前の力」シリーズ




「ご訪問いただいた方へ」
一日一回、3つのランキングボタンをそれぞれクリックしていただくと有り難いです。


ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングへ

名前と心理的距離

2012.2.4
前回⇒からの続きです。

「婚活」「援助交際」など、
ある現象に名前をつけること

それによって、
その現象がより促進されてしまうという危険性について
前回取り上げましたが、

これは負の面であって、

逆に正の面にスポットを当ててみますと、

人類の科学学問は、
特に哲学思想イデオロギー心理学宗教などは、
(自然科学もある意味では)

現象に名前をつけ、その現象を促進させる相乗効果によって
発展してきたのではないかと思うほどです。
(的確な例示はうまくできませんが)


これは、私が思うに、

人間というものは、
名前をつけられていないもの、名前を知らないものについては、「 得体のしれないもの 」だと、
恐怖や不安を感じるのに、

逆に
名前をつけられているもの、名前を知っているものについては
例えその内容や中身について知らなくても

急に身近に感じてしまう、妙になんだか理解してしまった気になる性質を持っていることが一要因だと思っています。


また、何故だかはわかりませんが、
そもそも人間は、
現実よりも名前の方がさも現実であるかのような誤認をする性質を持っているのだとも感じています。
この点については、
⇒「不立文字」シリーズで、
ニワトリが先か、タマゴガ先か」など、かなり考察してきたつもりですので、
ご興味のある方は是非ご覧ください。


現象や物事の名前についてだけでなく、

人の名前についても、

その名前を知っているか知らないかだけで、
私たちの受け止め方が大きく変わってしまうものだと思います。


例えば、ビジネスマンは、
初対面の相手と
まず、必ず名刺を交換して挨拶をします

これはやはり、
名前を教え合わずに、商談を進めることは心理的にできないでしょうし、
名刺を交換して名前を確認した瞬間に、
急にグッと身近になった感覚を持つものだと思います。


また、
テレビで名前も知らないタレントが出ていて
テロップなどで名前を知ったとたん、急に身近に感じてしまうことなどはありませんか?


もしかすると!?

例えば、
駅などの人ごみの中にいれば、
周りに見知らぬ人や、得体のしれない人!?ばかりで不安を感じるものですが

もし
あらかじめ、名簿か何かでその人たちの名前だけでも知っていれば
名前を知っているだけで、全然不安に感じないかもしれません



「 たかが名前されど名前 」


名前とは、
人にとって、とても影響力が大きく
知っているか知らないかで、
心理的な効果が大きく変わってくるものだと私は思っています。
<続く>



今回のブログは、
例示がわかりにくく、私の表現してみたいことが伝わりにくいかもしれません。

モノや現象や人の名前を知ることによって
そのことが劇的に身近に思えてしまうという、

人間の性質について表現を試みようとしたものです。
わかりにくくて申し訳ないと思っています。



⇒関連記事「名前の力」シリーズ





「ご訪問いただいた方へ」
一日一回、3つのランキングボタンをそれぞれクリックしていただくと有り難いです。


ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングへ

名前とアイデンティティ

2012.2.6
前回⇒からの続きです。

「 結婚して姓が変わると、
  なんだか今までの自分じゃない気がする

  新しい呼び名で呼ばれても
  誰のことかよく分からないし、

  今までの呼び名の私
  一体どこにいったんだろうという感じ。 」


大学時代の女性の友人が
結婚するときの言葉です。

男性である私は、
結婚したとしても姓が変わることはほとんどないので、
それまで、全く想像すらもしたことがなく、

「 あ~、女性は、こんな大変な問題を抱えているんだ 」

と、とても驚いたことが、
今でも強く印象に残っています


名前を知っているか知らないかだけで、
心理的距離が大きく違ってくると前回書きましたが、


名前というものは
本人、個人にとっても、
とても大きな影響があるものだと改めて感じています。

名前を変えると
アイデンティティ自己同一性 )が切り替わってしまうような。


考えてみますと、
私の本名は、「 健一 」です。

お寺の世界に入りまして、
法名として「 建岳 」という名前になっています。

つまり、
名前が2つあるのですが、

やはり、
お坊さんの名前である「 建岳 」と呼ばれる場合は、
無意識のうちによりお坊さんらしい態度をとっている気がしますし

本名の「健一」と呼ばれれば、
より素の自分になってしまうような気がします
( もちろんそのような2面姓が無いのが本来の僧侶の姿なのでしょうが(汗) )


みなさんも、
ブログを書くときにHN(ハンドルネーム)やペンネームをつかっているときは
本来の自分と少し別人格のように感じることもあると思います。



私は以前、
このブログで
心に深刻な苦しみを抱えている人について、
「 短期出家 」構想を書いたことがありますが、
⇒http://eishojikengaku.blog33.fc2.com/blog-entry-75.html

その構想の要の一つは、
まさに、「 名前を変える 」ことで、
今まで苦しんできた自分に一旦精神的な区切りをつけて
新しい名前で人生を歩み始めるというものです。


昔、武士などの名前は
生まれたときは「 幼名 」が名付けられ、
元服(成人)するときに改めて名前が与えられていました
また、
それから出世するごとに何度も名前が変わることもありました。

その度に何度も
それまでのアイデンティティを塗り替えてきたのだと思います


心の苦しみ、悩み多き現代日本社会です。
成人しても選挙権やお酒、たばこが認められるぐらいの違いで、
なかなか精神的な区切りをつけることができません。


名前を変えることによる精神的効果の再評価。
現在の私たちに必要なことではないかと思っています。
<続く>



⇒関連記事「名前の力」シリーズ





「ご訪問いただいた方へ」
一日一回、3つのランキングボタンをそれぞれクリックしていただくと有り難いです。


ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングへ

名前の効力

2012.2.13
前回⇒からの続きです。

これまで、
「 たかが名前、されど名前 」
名前の持つ力について考えてきました。

名前というものに
私たち人間は大きく影響され、

名前を知っているだけで、とても身近に感じたり、
場合によっては、名前が現象を促進させてしまうことすらあり得るのだと、私は感じています。

そして、
その名前の効力を充分いかしているのが、
歌舞伎落語などの伝統芸能、あるいは大相撲などの世界だと思います。

それらの世界では、
芸や技を磨けば磨くほど
相応しい名前が与えられ
その襲名披露が行われます

それによって
本人の自覚周囲の見方に劇的な変化をもたらすものです。

これについては、前回記事⇒
まさに当事関係者の方から、丁寧なコメントをいただいていますので、
ご覧いただければと思います。
( 私などが言及させていただくこと自体、僭越で申し訳ありません )


また、
少し以前、芸能界では改名ブームがありました。

今を時めく!?
くりぃむしちゅー(上田晋也さん、有田哲平さん)
さまぁ~ず(大竹一樹さん、三村マサカズさん)

あるいは?
モンキッキー。


名前を変えたことで
一躍、知名度を高め、親近感が広がったことが大きなきっかけとなり、
人気者になった例があります。
( 今ひとつ効果がなかった場合もありますが )



そういえば、
彼らのそれ以前の芸名は何でしたか・・・。


・・・。



海砂利水魚(読み:かいじゃりすいぎょ)、
バカルディ、
おさる(コンビ名:アニマル悌団)


調べてみないと思い出せません・・・(汗)

もちろん
人気者になるには、実力や努力などが必要なのですが、

改名した効果も、
まったく無視できるものではないと思っています。


さらに
名前を変えること、名前を付けることの効力は、
時として社会現象を巻き起こす一因となりえます

毎年選ばれる、
流行語大賞などは、その世相を反映しています。



さて、
私(副住職)は、あるいは永正寺住職は、

その名前を変えること、その名前の効力に着目し、

毎年4月8日お釈迦様の誕生日「はなまつり」を
「 ヒーリング・フラワー・デー 」と改名し周知に努めることで、
大きな効果を発揮させていきたいと、提唱をしています。



現代日本社会の高ストレス、高ヒステリック社会。
それを一日「 癒し 」に染まることで
社会全体のメンタルヘルスを向上させることが大切なのだと思っています。
詳しくは⇒ 「ヒーリング・フラワー・デー」シリーズ をご覧ください。
 

また、あるいは、
「 東日本大震災 」も「 東日本津波原発大震災 」と改称することによって、
よりこの災害の実態を私たちに浸透させ、後世に伝えていくことにつながっていくと思っています。


私は、このような、
名前の効力を、
もう一度見直しながら、これからの活動をしていきたいと考えています。




⇒関連記事「名前の力」シリーズ



( 補足!? )
それから、
私はもう一つ、名前を変えようと考えていることがあります。
今後もう少し形になった段階で,ご紹介したいと思っています。









「ご訪問いただいた方へ」
一日一回、3つのランキングボタンをそれぞれクリックしていただくと有り難いです。


ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングへ
プロフィール

中村建岳

Author:中村建岳
お越しいただきましてありがとうございます。
文字ばかりのブログですが、どうぞお付き合い下さい。

リンクフリーです。

私のお寺のホームページは⇒こちら
です。

⇒こだわり住職 なるほどアイデア情報局
⇒良縁 寺カフェ
ブログもよろしくお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。