永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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「無」「空」の境地への問いかけ

2010.12.14
前回からの続きです。

苦しみの原因である「思い」をなくした悟りの境地である
「無」「空」について、

まず理解し
そして目指していくということを

「現代社会で生活しながら」という前提での、お話を進めていこうと思います。


まず今日のブログでは、その最初の問いをなげかけたいと思います。


その問いとは、

『 これまで、このブログで
」「の境地を目指すっ! と何度となく繰り返してきましたが、

その「」「の境地

皆さんはこれまで、その境地を

例えば一瞬でも

体験されたことがあるでしょうか? 』


という問いかけです。
<続く>


それから、
昨日のブログ 『 「短期出家」構想中 』 について
本当にたくさんの拍手と温かいコメントをいただきまして
本当にありがとうございます。

少し驚いてもいます。

ちゃんとしっかり取り組みなさいという叱咤激励と受け止め
私自身、研鑽を積んでいきたいと、改めて感じさせられました。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。



それから、
永正寺護持会報の最新号99号が出来上がりました。
よろしければ、ご覧いただけますと嬉しいです。
なおPDFファイルになっていますのでよろしくお願いいたします。

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「無」「空」の境地

2010.12.15
前回からの続きです。

これから「」「」の境地を目指していきましょう
とした場合。

まずその「無」「空」の境地について、ある程度の理解やイメージを持つことが大切だと思います。

その最終目標のイメージをもたないまま、それを目指そうとすることは、
ゴールがどこかわからないマラソンをするようなもので、

大変苦しいのです


ともすれば、仏教の修行は
悟りの境地は言葉では表せないので、
とにかく修行を繰り返して体験を深めていくことが大切なこととなっています。


しかし
このブログでは、
敢えて、まず、その「」「のイメージを持って
そしてその「悟り」の境地を目指していくことを重要視したいと思っています。


その意味で昨日の問いかけがあります。

『 この「」「の境地
皆さんはこれまで、その境地を
例えば一瞬でも
体験されたことがあるでしょうか? 』

という問いかけでした。


『 そんな「無」「空」の境地なんてよくわからないもの
体験したことがない。』


と思われる方が多くあるかもしれませんが、


実は誰しもが
限定的な条件であれば
この「無」と「空」。
体験、経験していることなのです。


その体験とは実は、


  「夢中」 なのです。


大好きなことに「熱中」し、「夢中になっている状態
誰しもが経験していることだと思います。


皆さん
ここで、その夢中になった状態をよく思い出してみてください。


あたかも 「」 という存在がなくなり
その大好きなことと 「一体」 になっているような感覚 』


なのではないでしょうか?


そう。それですっ!


すなわちそれが、その状態が「」「」なのです。


ですから、
大好きなこと」などという限定された条件の中では、
誰しもがこの境地を味わっているのです。


そして重要なことは、
仏教が目指す悟りの境地とは


『 「大好きなこと」だけでなく、


 「なんでもない時」も
 「嫌いなこと」をしている時も

  いつでもどんな時でも

  常に夢中」になって、
  私の思いが 「無く」 なっている状態私の思いが 「」 になっている状態。 』
 

いわば、

  「 常時夢中状態 」、  「 常夢中状態 」

なのです。


嫌なことや嫌いなことも、夢中になって思いをなくしている状態。
想像がつきますでしょうか?
<続く>




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イヤなことに夢中になるっ!

2010.12.19
前回からの続きです。

『 「悟り」「」「」の境地とは、
 「 常夢中状態 」 である 』

実は
この一言を表現したいがために私はこのブログを始めたのです

この言葉が最も「悟り」のイメージを理解しやすくするのではないか。と自分なりに考えているからです。


しかし、頭で「悟り」のイメージを理解したとしても、
これからですっ!

『 大好きなことだけでなく、

何でもないときも
イヤなことにも
いつでもどんなときでも
夢中になる! 』

これを、修行し体得すること仏教の最終目標となるわけです。


そして、今日は前回からの宿題!?になっている、
『 イヤなことにも夢中になって
 苦しみの原因となっている思いを取り除く! 』
について考えます。


これについてはもっとも相応しい例話を紹介します。
といっても初めての紹介ではありません。2度目です。
(六道十界シリーズ10月16日、10月17日で取り上げました)
「 寒い暑いのない世界 」です。

『 昔、中国の唐の時代に、曹洞宗の開祖である洞山(とうざん)禅師に一人の僧が尋ねます。
「 寒い暑いという苦しみがこの世の中にあるけれど、どのように脱していったらいいのか。 」と。

すると洞山禅師が答えて言うには「 なぜ寒い暑いのない世界にいかないのか 」と言うわけです。

寒い暑いのない世界ってなんでしょう? そんな世界この世の中にあるでしょうか?

当然、僧は洞山禅師に尋ねます。
「 寒い暑いのない世界とはいったいどういうところですか 」と。
そこで洞山禅師は答えます。

「 寒い時には自分を寒さで殺し熱い時には自分を熱さで殺せよ 」 』


いかがでしょうか?


寒いとき
もっと暑ければいいのに~
寒いのイヤだな
などと
現実の寒さから逃げようと思っても、
実は、
思えば思うほど思い通りにならない苦しみが増えていきます
こればかりは、どんなに強い意志で「もっと暑ければいいのに」と願っても苦しみがきつくなるだけです。


しかし、逆に
その実際の寒さと一体となるがごとく、その寒さ以外のことは考えない
寒さで自分をなくし尽くすぐらい、
つまり「 夢中 」になるとその苦しみはなくなるということなのです。

これは強い意志!?でその寒さに集中すればするほど、その苦しみは少なくなっていくのです!



これで少しは、イメージしやすくなったでしょうか?
余計わからなくなってしまったら申し訳ありません。
<続く>




ここ数日の間、
大変多くの拍手、コメント、ランキングボタンのクリック、そしてご訪問いただきまして、本当にありがとうございます。
できるだけ自分自身に素直に表現しようと心がけていますが、知らずと背伸びして表現しているところがあるかもしれないと、少し反省もしております。
これから、また原点に立ち返ってブログを続けていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。




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イヤなことにも夢中になる2

2010.12.20
前回からの続きです。

イヤなことにも夢中になる
ということが分かりにくいのは、実は当然のことです。

「 無我夢中
 楽しい時に自分を忘れるような感覚で

 寒さにも集中し、夢中になりきり、無我夢中になれば、
 寒いという苦しみが無くなる 」 のです。

「寒くて苦しい」と思う自分をなくしてしまうのですから「苦しみ」がなくなる。


まあ、理屈上成り立つとしても
そんなこと本当に起こりうるのか? という疑問がでて当たり前なのです。


もちろん、私たちが「悟り」に到達していないから分からないということなのです。


ここで、
悟り」を極めた人の実例をあげてみます。



明治時代の禅僧・森田悟由老大師という方のお話です。


『 この森田老大師が、全身麻酔が必要な悪性腫瘍の手術を受けなければならなくなってしまった時、
 あえて麻酔なしの手術を希望されたのです。
 もちろんそのような大手術、患者が痛みに反応して動けばそれだけで命取りになりかねません。
 しかし、その執刀医が全身麻酔の必要性をいくら強調しても、老大師は麻酔なしを希望されたのです。


 結局、医師もしぶしぶ了承し、手術に臨みます。


 実際の手術では、老大師は目を半眼に閉じたまま声も立てず筋肉一つ動かさない顔色もふだんのままじっと静かに横たわっておられて大手術をうけられました。


 あまりに老師が平然としているで、執刀医は不思議になり「 痛くなかったのですか 」と尋ねます。
 そうすると「 手術というものは痛いものですな 」と答えられ、


 この執刀医は、

 「この人は聞きしにまさる大徳だ。本当に禅を修め悟りを開いた人物とはこういう人のことに違いない

 と心から敬服されたということです。 』




普通の人であれば、メスが身体に触れる前からその痛みの恐怖におののき
それと共に身体も過剰反応してしまうのは目に見えています


しかしそれを、
例えば、気絶して痛みを感じないわけではなく、
また、痛さがなくなるわけでもない。


痛さはある。あるのだけれど、その痛さに夢中になる。その痛さと一体となる



それを徹底しきると人間の条件反射すらをも凌駕するというお話です。
<続く>




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イヤなことにも夢中になる3

2010.12.21
前回からの続きです。

皆さん
昨日の森田悟由老大師の「麻酔なしの大手術
何か連想されませんでしたか


そうですっ!???

「 心頭滅却すれば火もまた涼し 」ですっ!


本当は「 心頭滅却すれば火おのずから涼し 」なのですが


まさに、
苦しみを感じる思いを(心頭)を滅却すれば
火すら自ずと涼しくなる
ですっ!


これこそ「 イヤなことに夢中になる 」の最終形なのです。


仏教を極め、禅を極めるとは
このような苦しみの究極の克服なのです


そのイメージをなんとなくもっていただけたでしょうか?


次回からは、
どうやって、どのように修行して、その境地に至るのか? です。
<続く>




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