永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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心の「インフレ」「デフレ」

2010.12.6
前回からの続き。というか番外編でしょうか!?

インフレ」「デフレ
もちろん経済用語です。

「インフレ」は
物価が上昇する経済現象です。

そして「デフレ」は
逆に物価が下降する経済現象です。

一番健全な経済状態は、若干の、少しのインフレ」と言われています。
少しずつ物価が上がっていけば、企業の利益が増え、それに伴い労働者の給料も増え、またモノを買うことができます。そしてまた企業の利益が上がる。
良い循環です。

しかし、急激なインフレ」は、
その高いモノを買える人が限られてくるので、企業の利益が減ることにつながり、給料の減少を招き、経済が悪くなります

デフレ」も
値段が下がっていくので、企業の利益が減り、給料が下がり、モノが売れなくなり、また値段が下がるという
悪循環デフレスパイラル」と言われています。


詳しくは専門家にお任せするとして、


この「インフレ」「デフレ」モデルは
人ひとりの心の働きに似ていると思います。

楽しいことや嬉しいことで気持ちが上昇することが「インフレ」で
悲しいことや辛いことで気持ちが下降することを「デフレ」とします。


「インフレ」
楽しくて楽しくて仕方ない有頂天や、快楽を追求するような時は、慢心や奢りをまねき思わず足をすくわれるなど、心が不安定で、心が不健康です。より強い刺激の楽しさを求めてしまうなど、その楽しさは持続しませんし、次の苦しみをまねいてしまうものなのです。


「デフレ」
悲しいことや辛いことをどんどん自分に抱え込んでしまったら、
まさに「デフレスパイラル」。
そこから抜け出すことは容易ではありません。


つまり、やはり、
心が健全である状態とは、微妙なインフレ状態なのです
ほのかな楽しさを味わい続ける心の在りようが良いのです。


今の私の精神状態は
「インフレ」なのか「デフレ」なのか。




簡易坐禅をすることで感じる
ほのかな幸福感と充実感気持ちよさ


少しの暇を見つけて坐禅をすればするほど、心がすこやかになっていくと思います。
<続く>




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信じない宗教

2010.12.9
前回からの続きです。

人は苦しみを感じているとき
その理由を求めます。

何故、今、私は苦しんでいるのか?
過去に何か苦しみの原因となることがあったのか?
周りの環境が悪いのか。何故なのか?

何かの答えをみつけて安心しようとします。

そして、なかなかその答えが見つからず、不安な状態に陥ってしまいます。


当然、
その答えは簡単に見つかるものではありませんし、
もともと答えのないものを追い求めてしまっているだけなのです


そういった苦しみで不安定なとき、
人は
偉人の遺した言葉などの指針とか、
神や運命などの超人間的な存在に、拠り所を求めるものです

「信じる者は救われる」


そういった人が何かの拠り所を求めるもの、信じることでできたものが
宗教」であるとしたら、


仏教」とは、実は真逆のものだと思います。

理由を求める思いをなくし、
拠り所を求める思いもなくし
信じることも追い求めません。

全ての思いをなくし尽くした「無」「空」の境地で苦しみを克服するのです。



あえて言えば、
「仏教」とは、


何も信じない宗教なのです。
<続く>



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「仏教 2nd Version」

2010.12.11
前回からの続きです。

仏教は何も信じない宗教だ
と前回のブログで書きました。

何か大いなる存在を信仰し
自分のすべてをゆだねてその指し示す方向に向かっていく

これが、宗教であるとすれば、
仏教についてはやはり違和感をもってしまいます。

不安で苦しい自分を、何ものかに全てゆだねて、それを拠り所に安らかに生きる

のではありません。


むしろ
独坐大雄峰
一人、どっしりとただ坐っている。

一人ただ心が安定し清々しくある
何にもとらわれない煩わされない自由な心のみある


そのようなイメージの心のあり方を目指すものなのです。


お釈迦さまは、
それこそ手をかえ品をかえ、
苦しむ人々それぞれに、それぞれ一番いい方法でその境地を目指すことを説かれ続けたと思います。


それがいつのころからか、お釈迦さまが亡くなってから、
仏教にも「信仰」の概念が生まれてきます。


こんなにも素晴らしい生き方をされたお釈迦さまを奉って
そのお釈迦さまにあやかって苦しみを取り除きたい
お釈迦さまにあやかって、幸せになりたい

などと変化してできたのが、「大乗仏教」といえるでしょう。
もともとの仏教の性質が「信仰」へと変化していますので

仏教 2nd Version」として理解した方が良いと思います。


この大乗仏教は、
人それぞれが持つ能力や環境などで
もともと全ての人が「独坐大雄峰」などの悟りの境地を目指せるものでなく、

それならば全ての人を救えないじゃないかっ

という思いがあり、全ての人が「信仰」すれば救われるという
「宗教」らしい形に変化、進化!?したのだと思います。


今現在、日本にある仏教は、この「大乗仏教」の流れのものが伝わってきたものですし、
中国の、儒教や道教などの影響も受け、日本の土着信仰などとも関連して変化してきたといわれています。
これらを混乱して考えてしまうことが、仏教がわかりにくい原因のひとつになっていると思います。


私はこのブログでは、これまでもこれからも、

私たちの心のあり方を「悟り」に近づけていく、
「仏教 1st Version」 について考えていきたいと思っています。
そして 「」 はこの 「仏教 1st Version」 に近いモノです。


その意味での仏教はやはり
「何も信じない宗教」なのです。


そして、現在の私たちに生きる仏教として

苦しみの原因となっている「思い」をなくしていく方法を
これからも考え、表現していきたいと思っています。
<続く>



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小咄

2011.3.2

法話で大切なこと。


それはもちろん、法話の中身です。

法話の中で何を伝えたいか
何を訴えたいのか。


聞いている人にそれさえ伝われば
より印象深く伝われば、

その法話は素晴らしいと思います。
もちろんその内容が素晴らしく、意味があるという前提ですが。


けれども
ただ単に、内容を講義のように解説したりしても
なかなか伝わらないのです。


これは
法話に限らず、講演演説など、
人前で話すこと全てに共通する課題なのですが、

「 話が面白い 」
「 話が印象的 」
「 飽きさせない 」

などを目的としたテクニックがどうしても必要になってきます。



ですから私は、
敢えて法話中に歌を歌ったり
聴衆参加型のお話をつくったり、


驚きを伴うような仕掛け
印象に残る法話を心がけています。



そして最近特に強く感じていることは、
小咄(こばなし)テクニックを磨くことが大切だということです。

小咄が上手く、
飽きのこない、印象的な話ができる姿に
憧れを感じています!


そこで、
米原万里さんの「必笑小咄のテクニック」
などを読んで勉強しているのですが、

私は
もともと頭が固いので、なかなかうまくいきません(汗)

そして最近は、
常に参考になる小咄を探しているのですが、
先日のテレビニュースでのお話をご紹介します。


『 facebookなどのSNSでの呼びかけが発端となった
  中東での独裁政権打倒の大きなうねり

  チュニジア、エジプト、バーレーン

  そしてついに
  強固な体制を誇っていた
  カダフィ大佐リビアにまで
  大きな波が打ち寄せています。


  窮状きわまった感のある
  カダフィ大佐の息子ですが、
  落ち着き払い、余裕すら感じさせながら、
  インタビューに答えていました。


  「 これから私たちができること
    3通りある

    プランA、
    リビアに生きリビアに死ぬことだ


    プランB、


    リビアに生き、  リビアに死ぬことだ




    そしてプランC、


    リビアに生き、  リビアに死ぬことだ! 」  』


NHKのニュースで目にした私は
あっけにとられ驚くと同時に
良い悪いはおいておいて、強烈な強い意志を感じたのでした。

もちろん私は、
カダフィ大佐の善悪について一切論ずるつもりはありませんが、
小咄のテクニックとしては非常に参考になると思いました。


参考になる小咄がありましたら
皆さん是非教えて下さい m(_ _)m








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仏教の拠りどころ

2012.5.5

仏教は、
もちろん
宗教のひとつです。

ひとくくりに
宗教と言っても、さまざまな宗教ありますし、


それぞれの宗教で、
それぞれの特徴があって、
全部、違っています。


けれども、
仏教は、

他の宗教にはない、
仏教だけの特徴があります。


それは、
宗教とは、「 何かを信じること 」だとすれば、

仏教とは、実は、
「 何も信じない宗教 」なのです。



これについては、以前、
⇒信じない宗教
で書きましたので、宜しければご覧いただければと思います。


その繰り返しになりますが・・・。



人間は、人は、私は、


苦しみに出会ったとき、
悲しみに出会ったとき、

もっと幸せになりたいと願うとき、


どのような解決方法を模索するのか


宗教とは、

「  」のような絶対的なもの。

それを「 信じること 」、
それを「 拠りどころとすること 」、
それに「 すがること 」など、

「 信じる力 」で克服しようとするものです。


そして
その拠りどころとなる「 神のような絶対的 」なものとは、

人間の想像力と願望力が
生み出し作り出した存在でありストーリーです。


ある意味、
人が作り出した、いわば架空の物語を、
そのフィクション性を一片も疑うことのないほどの「 信じる力 」でもって、

苦しみや悲しみを克服し、幸せを願うものなのかもしれません。




ですが、
仏教は違います。


少なくとも、
お釈迦さまが説いた仏教は、

人が生み出した「 架空の物語を拠りどころ 」とするものではありません。



「 なぜ、人は苦しんでしまうのか? 」
「 その原因は何か? 」
「 なぜ、幸せになれないのか? 」
「 こんなに豊かなのに、虚しくてしかたがない 」


「 何故なのか? 」


それを
徹底的に解明しようとするものです。

「 信じること 」が苦しみの原因になるのであれば、
「 信じること 」も捨て去ります。


「 人はなぜ苦しんでしまうのか? 」


いわば、心理学



自然科学の拠りどころが「 現実 」であるように、

仏教の拠りどころも、
ただ「 現実 」のみなのです。



仏教者とは、
ただ「 現実 」を拠りどころに、
苦しみの原因を明らかにして、

そして、

その「 苦しみ 」の克服を目指すものだと思っています。



私自身。このブログ。
そうありたいと思っています。








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