永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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「苦しみの原因」の共通点

2010.11.18
前回からの続き の前に

永正寺の会報の最新号ができましたっ!
「護持会報」第98号です。
リンクを張っておきますので、是非ご覧ください。
なお、PDFファイルなので、アクロバットリーダーAcrobat Readerが必要になりますので
よろしくお願いします。

永正寺護持会報98号


<改めて前回からの続きです>

お釈迦さまが、最初の説法でお話されたといわれている四諦・四聖諦。

この4つの聖なる真理とは
 ① 苦諦[くたい]・苦聖諦 (人生は思い通りにならない苦であるという真理)
 ② 集諦[じったい]・苦集聖諦(苦をもたらす原因は、欲望を引き起こしたりする煩悩であるという真理)
 ③ 滅諦[めったい]・苦滅聖諦(その煩悩を滅した境地が、悟りの境地であるという真理)
 ④ 道諦[どうたい]・苦滅道聖諦(苦を滅した境地に至るには、修行の道があるという真理) 
でした。


人生は思い通りにならない四苦八苦。もともと苦しみばかりです。

そしてその
「苦しみの原因」について長々と考えてきたのです。

それは
意識と無意識とのギャップ
すべてのものが変化し続けいずれは滅びる現実 と その現実に逆らい続けようとする意思 との宿命的相違

そして前回指摘した
価値観をもつことこれにこだわること

の3つです。まだまだあるのですが、ひとまず区切ります。


これらの一つ一つが
宿命といえるほど、人そのものといえるほど
人間の根源的な苦しみの鍵を握っています。


実は、
これらの苦しみの原因。
ある共通点があるのです。



それはなんでしょうか?
<続く>




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「苦しみの原因」の共通点2

2010.11.19
前回からの続きです。

「苦しみの原因」の共通点とはなんでしょうか?

これまで
意識と無意識、諸行無常、価値観というテーマで「苦しみの原因」を取り上げてきました。

それらの原因に共通することとは、

すべて、人が思うことに起因する苦しみなのです。

意識が自分自身のすべてだと「思って」しまい、無意識が支配する自分自身をうまくコントロールできない苦しみ。
世の中すべては諸行無常なのに、常に滅びないように願い・「思い」続け、避けられない滅びにであう苦しみ。
これが好き、ここに価値がある、美しいという「思い」と現実とのギャップ。他人の価値観とのズレ。


まさに、人の「思いによって苦しみがうまれているのです。


そもそも
仏教でいう「苦しみ」とは
「思い通りにならないこと」でした。


実は
「思う」から、
「思い通りにならない」のです

思ってしまうから、思い通りにならない苦しみが始まるのです。



もし
もともと何も思わなければ、


「思い通りにならない」もなにも
苦しみも何も

ないのです



そしてこの
「何も思わなければ・・・」の境地こそ


まさに 「」 であり、 まさに 「」 なのです。
<続く>




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苦しみの原因-煩悩

2010.11.20
前回からの続きです。

人生が、苦しみに満ち満ちている四苦八苦、思い通りにならないと気づくことが、「苦諦」です。
第1段階です。

そして、その苦しみの原因を知ることが第2段階「集諦」です。

この苦しみの原因を前回、

すべての苦しみは「思う」ことに起因している

としたのです。


しかし、この苦しみの原因としてよく取り上げられるのは、
煩悩」とか「欲望」とか「執着」だといわれています。

事実、集諦を解説している欄でも
苦をもたらす原因は欲望を引き起こしたりする煩悩であるという真理
と引用しています。

(今気付きましたが、うっかり引用先を書いておりませんでした。
 上記、集諦を含めた四諦の解説は、「図解雑学 仏教」編:廣澤隆之 ―ナツメ社―
 より引用しております)

この、一般に言われる苦しみの原因
「煩悩」「欲望」「執着」などは、
まさに!?苦しみの原因だと理解することができます。

しかしこれを
煩悩」などの 悪い思い が苦しみの原因だとすると

違和感があるのです


いわば「煩悩」をスケープゴート(責任の転嫁)にして
それさえなければ大丈夫という 『錯覚』 を起こしてしまうからです。


そうではなくて、
もっと人間の根源的な、
宿命的な
人間であるがゆえ
「苦しみの原因」なのです。


意識と無意識、諸行無常、価値観
それらの苦しみすべて、


人は
「思ってしまう」存在だからこそ
「思い通りにならない」のです。
<続く>




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人間らしさの・・・

2010.11.21
前回からの続きです。

人間は「思ってしまう」存在だからこそ
「思い通りにならない」のでした。

すべての思いを滅して
」「」の境地になれば
苦しみはないのだと


しかし

すべての思いを滅することなんてできるのでしょうか?

そんな、何も思わなくなってしまったら
つまらないじゃん。
何を楽しみに生きるのか?


デカルトが
「我思う、ゆえに我あり」
パスカルが
「人間は考える葦である」というくらい

思いとか考えることは人間の本質といえます。
人が人である所以。「よりどころ」でもあります。

それを否定してしまうのか?


実は
そうなのです
人間らしさそのものといえる、その「思い」を滅することを目指すのです。


私の親友にこの話をしたら、
「仏教は過激な宗教だね」
と感想をのべていましたが・・・。


人間の集団的思考が生みだした「社会」というヴァーチャルな現実を捨て、
お釈迦さまが「出家生活」を選んだのは必然だったのです。


補足:人間らしさ否定の「無」「空」について

今回の結論は、人間らしさを否定することが仏教だ
となってしまいますが、
仏教では「空即是色」といっています。
空はすなわち色なのです。
これが仏教が一筋縄でいかないところだと思うのですが、
「人間らしさを否定することが、もっとも本来の人間らしさを際立たせる」
とでもいいましょうか・・・。
とにかく、単なる否定ではないのです。
今後、よりこの世界を表現していきたいと思っています。
<続く>




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