永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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苦しみの原因

2010.10.29
前回からの続きです。


なぜ苦しみだらけなのでしょうか?
なぜ、苦しみだらけになってしまうのでしょうか?

それは、人間が人間たるゆえんかもしれないし、
人間の性質そのものが、もともと苦しみを呼び込むものになっているとも言えるのかもしれません。

例えば今目の前に
右と左、二手に分かれている道があるとします。
そこであなたは、右の道を選び右に行こうとします

すると不思議なことに、体は勝手に意思とは別の左の道にいってしまいます


こんなことってあるでしょうか?

よくある よくある とすぐ納得できる人は素晴らしいと思います。
「そんな馬鹿なことはないっ!」と思う人が結構多いのではないでしょうか?

でも、他ならぬ自分自身を、自分の意思で動かすことって結構難しいのです

先程の例を「道」でなく、「勉強」に置き換えましょう。

 あなたは、勉強しようとします勉強しなきゃいけないと強く思います。
 でも、やっぱり勉強できなかった。ついつい遊んでしまった。TVを見てしまった。

こんな経験はありませんか?

 好きな人にふられてしまい、その人を忘れようとします。
 思えば思うほど、忘れられない。


そんな時

自分自身が自分の思い通りにならないのがおかしい
思い通りになって当たり前だ!
なぜ自分自身が自分の思い通りにならないのか?

などと思えば思うほど、大きな苦しみを感じてしまいます。


でも、もともと、そんなに自分自身は自分の思い通りにならないものなのです

なぜなら、人は誰しも自分自身の中に「もう一人の自分」を抱えているからです。
<続く>




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もう一人の自分

2010.10.30
前回からの続きです。


人は誰しも自分自身の中に「もう一人の自分」を抱えています。


もう一人の自分とは誰でしょうか


私が意識だとすると、そのもう一人の自分は、「無意識」「下意識」です。
私が理性だとすると、もう一人の自分は「本能」です。
同じように、「顕在意識」と「潜在意識」、「表層心理」と「深層心理」など
さまざまな呼び名があると思いますが、

つまりそのようなもの
ここでは、「無意識」と呼ぶことにします。


私たちは誰しもが、このもう一人の自分「無意識」を抱えて生きているのです

この「無意識」は、私が右の道へ行きたいと思っても勝手に左の道へ行ってしまうくらい
私と別人格です。別の人なのです。

自分の中に他人が同居しているようなものです。
他人である「無意識」が一体何を考えているのか、多少想像はできたとしても本当のことはわからない。

例えば、私が好きな異性のタイプをあげたとして、でも全然違うタイプの人を「無意識」が好きになってしまったりという話はよくあります。どうしてその違うタイプの人を好きになったのか、うまく説明できないし理解もできない。


私は私でなくいったい誰なのか?


ここで、「私」と「無意識」を比べてみて考えてみてください。
どちらが「」で「」かを?


つまりどちらが「主人」で、どちらが「家来」なのかを。
<続く>






ところで、
永正寺ではまた本日も、芸術の秋企画第2弾、チャコール・ローズコンサートを行いました♪

その模様をアップしますね!

チャコールローズ1

チャコールローズ2
今回もぎっしり100名超の観客です。

チャコールローズ
美しいハーモニーと演奏。


チャコールローズさんの見事な演奏と歌声に、みなさん本当に聞き惚れていました。
口々に「良かった~♪」と口ずさみながらみなさん帰っていかれました。

チャコールローズさん。
本当にありがとうございました。

永正寺に来ていただいたみなさん本当にありがとうございました。




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主従関係

2010.11.1
前回からの続き の前に

虹

虹です!
今朝、我が家をでた途端。西の空一面に大きくくっきりしたがっ!
肉眼では、完全な半円がくっきり見えました。
また、完全な半円が見えるくらいの
視界を遮る建物がない田舎!?住まいの私。

はともかく

11月の始めの日。気持ちの良い朝でした♪

といっても、今日は大忙しで、お世話になった修行道場の行事の加担(手伝い)と、自分のお寺の仕事と掛け持ちで飛んで回っていました。でも懸案の仕事もひと段落したり、お世話になった方へのご挨拶もできたり、充実した一日となりました。良かったです。



<改めて前回からの続きです>

私たちは誰しもが、自分の中に「無意識」という他人同居しているのです。

では、「私」と「無意識」。
どちらが 「」 でどちらが 「」 でしょうか?


例えば自動車学校に入校したことを思い出してみてください。

最初に車を運転しはじめた時どうでしたか?

私は必死になって運転する手順を覚え、それを懸命に実現するように努力します
しかし、その複雑さに混乱しなかなかうまくいきません。おまけに隣の教官からいろいろいわれ余計に混乱します。


それがいつの日か誰でもできるようになります。できなかった運転が、出来るようになるのです。

この出来るようになることは、実は、

ができなかったことを、「無意識化」することによって出来るようになるということなんです。


逆の表現をすると、
 がやっているうちは 出来ないんです


これは車の運転に限ることではありません。
どんなものでも新しく習得しようとするとき、「意識」であるがやっているうちは、ぎこちなくなかなかうまくいきません
それが「無意識化」されたとき初めて出来るようになるんです。

歩くこと一つとっても、「まず右足出して、次に左足出して、それと同時に両手をタイミングよく振って・・・」などと本当に意識してやってみたら、出来ることも出来なくなります。


」が私自身を動かしているのはほんの僅か。動かしてもすぐスタミナが切れたりぎこちなくなったりします。

本当は、「無意識」 が
私自身を動かしている
のです。
<続く>





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主従関係2

2010.11.3
前回からの続きです。

私たちは誰しもが、自分の中に「無意識」という他人と同居しています。
どちらが「」で、どちらが「」なのか。

「私」は自分自身を支配し、動かしているつもりになっていますが、
実は、その最終決定は「無意識」が行っていて、
」だけでは一時的にしか私自身を動かすことができません

それでも指示しているのは「私」だから、「私」が主人だろう

と思いたいところですが、

それは、「無意識」から指示を送られていることに、「私」が気付いていないだけなのです。
いやむしろ、「」を無視して、「無意識」が勝手に動いているのです。

「お腹すいた~」
「眠い~」
「さぼりたい~」
「楽しいことしたい~」
「あの人好き~」「あの人怖い~」

その指示をうけて「私」が具体策を考えさせられているとも言えます。
また、その「無意識」をなんとか制御しているのが「私」です。

つまり主は、主人は「無意識」で、従、家来は「」なのです。

あるいは
」は、無意識が支配している私自身に、一部寄生しているかのような存在。
とでも言えるでしょうか。

つまり、もともと私自身を思い通りにするようにできていないのです
にもかかわらず、私たちは、「」が私自身の全てであるかのように思いこんでしまっている

この思いこみが様々な苦しみをうみだす一因となっています。



そして「私」と「無意識」の不調和状態がまさに「ストレス」だと言えます。

それに対して、その究極の調和を目指すのが仏教であり、その究極の調和の完成悟りなのです。



この内なる他人そして主人である「無意識」との不調和。
「私」と「無意識」、この「二人」の性格が全く違うことが大きな問題なのです
<続く>




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性格の違い

2010.11.6
前回からの続きです。

私たちは誰しもが、「」と 内なる他人無意識」との二人が同居をしています
そして主人は「無意識」で、実は「」は家来なのでした。

この二人の同居。

結婚と違い、うまくいかないからといって別居や離婚をすることができません
あくまでもどうなろうとも運命共同体なのです。

しかしこの「私」と「無意識」。
決定的に性格と人格が違うため、しかも、「無意識」がやっかいなご主人さまであるために、
もともとそううまくいくようになっていません。

この性格と人格の違いについて考えてみます

これは、人それぞれに性格があるように、もちろん「」、「無意識」も個人差があり、みな同じというわけではありません。
しかし、「私」と「無意識」を比べた場合の傾向は、顕著な共通点があるのです。

」は、論理的な思考ができます。善悪の判断、計画性などがあります。
身体を一時的に動かすことはできますが、スタミナがありません。そして素直です。

これに対して「無意識」の特徴は真逆です。
思考は思いつき感覚です。その場での自分の生命を守る判断をしますが、道徳や倫理などの善悪の判断はできません
」が「無意識」の思考のイメージになると思います。その場その場での判断をするので計画性もありません。身体を動かす主導権を握っていてスタミナがあります。そして重要なのは素直ではないことです。わがままです。好き嫌いがはっきりしています。あと、保守的で、常習性があり、新しいことが嫌いです。

こんな感じでしょうか?
こんなやっかいな「無意識」と同居しなければならないのですから大変です。

無意識」は、「私」が得意な論理を理解せず押し付けようものなら、わがままぶりを発揮して強く反発するからです。


やめようやめようと思ってやめられない タバコ賭けごと
ダイエットをしようとしてもついつい間食してしまうこと。
新しいことばかりする勉強がいやなこと。
失恋した大好きな人を諦められないこと。


程度の違いこそあれ、人が人である限り宿命的な苦しみの原因といえるのかもしれません。


この「無意識」
上手な扱い方はないのでしょうか?
<続く>




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