永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

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「六道」

法話を入門から順序良く理解しやすいように体系的に話してみたいとは思います。
その前提として必要な自分自身の仏教に対する理解と思考の体系化がまったく不完全で未熟なまま、思いつくテーマから書き出していきます。仏教そして禅に対する自分自身の理解が、いつか再構成して体系化できるほど、深化していくように期待しています。
さて、表題の「六道」は、今年の5月に臨済宗黄檗宗合同高等布教師講習会に参加した際の私自身に課せられ発表を行った課題の一部です。当面はこの講習会の課題がとっかかりになると思います。

「六道」とは地獄餓鬼畜生修羅人間の6つの世界を言います。
地獄といえば閻魔さま。針の山地獄や煮えたぎる湯や炎、そして地獄の鬼が大活躍する苦しみの極まった世界です。子どもの頃地獄の話を聞いて恐ろしかったことを微かに覚えています。
餓鬼とは、飢えと渇きに苦しむ世界です。ようやく手に入れた食べ物や水が口に入ろうとする瞬間に燃えてなくなってしまうと言われています。なんて苦しいんでしょう。お腹が膨れた餓鬼の絵は一度見たら忘れられない衝撃があります。
畜生は、けだものの世界です。貪欲、淫欲に振り回されます。本能のまま本能のみで生きていますが、これも苦しみの多い世界と言われています。人間などに使われ、利用される存在です。
修羅は闘争してやまぬ者、争う生存者といわれます。この世界も苦しみが多いとされています。
人間は、私たちが住む人間世界です。苦しみと楽しみが半々といわれています。みなさん苦しみと楽しみ半々で過ごしていますか?
そしては、楽しみのみの世界です。

私たちは生きている時の行いによって(行いが良ければより上の、悪ければより下の)、次に生まれ変わるステージが変わっていくと言われています。そして永遠にその生まれ変わりつまり輪廻転生を繰り返していく。これを六道輪廻といいます。

仏教の究極の目的って知っていますか?

この苦しみが無くならない六道輪廻のサイクルから抜け出すこと が究極の目的なんです。六道輪廻からの「解脱(げだつ)」です。別の言い方をすると、「悟りを開く」と六道輪廻のサイクルから抜け出すことができる ということなんですね。

では六道輪廻のサイクルから抜け出して、一体どのような世界に行くというのでしょう?
それが四聖の世界と言われています。<続く>
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「四聖」

続きです。

四聖」とは、4つの聖なる世界のことです。仏教の究極の目的とは、迷いの世界とも言われている六道を永遠に廻りめぐる六道輪廻から、この四聖の世界、いわば悟りの世界へ到達することなんですね。

ではその4つの聖なる世界とはどんなところでしょうか。

これらは単に、悟りの世界として一つの世界としてまとめていいかもしれないと個人的には思います。それでも4つに分かれていますので説明しますと、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩、仏という4つの世界です。

声聞は仏の声を聞いて悟るものが住む世界です。縁覚は自らひとり悟るもの、つまり悟りには至ったけれども、その悟りの境地をほかの人に広めようとしないんです。人々を救おうとする前段階の世界です。菩薩は未来の仏の世界です。仏になることは約束されているけれども、あえて人々を救うために、仏にならないで私たちにより近い立場で修行するものの世界。そしては自らも悟り他人をも悟らせつつある人です。

阿弥陀如来(如来は仏の別名です)や弥勒菩薩など、仏や菩薩像はよく目にしますが、声聞像や縁覚像は見たことがないですね。もちろん信仰の対象にならないのでしょうが・・・。

この悟りの世界が4つにわかれているのは、大乗仏教の考え方が反映されているのですね。
大乗仏教とは・・・と、説明しだすと話の本質からそれますので、また別の機会にしたいと思います。
ちなみに、六道と四聖をあわせて十界として六道十界といったり、六道四聖とも呼ばれることもあります。

話を戻しますと、仏教の究極の目的とは、迷いの世界六道輪廻の悪しきサイクルから抜け出して、この悟りの世界へ到達することなんです。

ここでみなさん。悟りの世界とは何か。4つの悟りの世界を説明したところですぐイメージが浮かぶようにはなかなかならないと思います。なるはずがありません。比較的、六道については身近に感じられイメージも持ちやすいのに、悟りの世界については、まず「悟り」というものを理解しなければならないからです。

でも、その悟りの世界のイメージの話の前に、もっと根本的なそもそもの話をしなければならないと思います。
私たちが今後生まれ変わりを繰り返して、いつか悟りの世界へ・・・というと、すいぶん気の遠くなるような話の気がします。悪いことをして地獄に落ちることはいやだし、できれば天に生まれ変わりたい。その先のことはよくわからない。悟りの世界?まぁよくわからないしいいか。 ということになりかねません。

この六道十界は、これから数百年とか数万年とか長ーいスパンで考えて悟りの世界へいけたらいいねというものではないんです

今生きている私たちに突きつけられている問題なんです。<続く>

「今生きている私たちに突きつけられている六道輪廻」

続きです。

六道輪廻は、生まれ変わりを繰り返す何百年とか何万年とか長ーいスパンで考えるものではないんです。

ところで皆さん。ミスターチルドレンの「蘇生」という歌知っていますか?
そのサビの歌詞は、
「でも何度でも何度でも僕は生まれ変わっていく。そしていつか君と見た夢の続きを~♪」
「そう何度でも何度でも君は生まれ変わっていける。そしていつか捨ててきた夢の続きを~♪」
となっているんですが、この歌詞を作った桜井さんは、ハリウッド俳優のリチャード・ギア(Shall We Dance、プリティウーマンとか)さんが「僕は毎朝毎朝、新しい自分に生まれ変わるんだ」といった言葉にインスピレーションを持って、この言葉を表現したいがために作った曲だと言われているんです。

そう、毎朝毎朝、新しい自分に生まれ変わる仏教も同じように考えるんです。過去の自分は死に新しい自分に生まれかわる。それを繰り返している。もっと言えば、一瞬一瞬、一秒一秒、生まれ変わりを繰り返していると考えるんです。

ここで 佐藤俊明(さとう・しゅんみょう)さんの「ちょっといい話」というシリーズの中から、六道についての記述を引用します。

『六道とは、私どもが生活している心のことである。
 地獄は最低最悪、苦しみの極限の世界、餓鬼はいくらあってもまだ足りない、まだ足りないとイライラ、ガツガツしている貪りの世界、畜生は自分で自分をコントロールすることができず、本能のままうろつく世界、修羅は争いの世界、人間は苦楽相半ばする世界、天上はいわば極楽だが、しかし、よろこび楽しみの長続きしない世界のことで、私どもはこの六道を駆け巡って生活しているのである。

 子供に例をとってみると、野球の試合に勝って意気揚々、天上界に登った気持ちになって家に帰ると、「こんな遅くまでなにしてた」と叱られる。"せっかくいい気分になって帰ったというのに、少しばかりおくれたからってなんだ"と腹を立てて途端に地獄に堕ちる。しかし、"遅くまで無断で遊んで来たんだから親も心配するのはあたり前だ"と反省して人間となる。それにしてもお腹が空いてたまらん。戸棚をあけて餓鬼のようにパクついていると妹がやってきて、「おかあさん、おにいちゃんが・・・」と注進に及ぶ。「余計なことを言うな!」と蹴飛ばして修羅となる。満腹するといい気持ちになって勉強も忘れてグウグウと、コントロールを失って畜生となる。

 このように一瞬一瞬定めもなく地獄から天上までの世界を駆けずりまわっているのが私どもの日常である。
 六つの世界のどこへでも定めなく趣くという意味で六道のことを六趣ともいう。』

さっきまで笑っていたのが、怒り狂い、争いあうなど、一瞬一瞬六道輪廻を繰り返す。このように私たちはまさに現実世界の中で、六道輪廻を繰り返しているんですね。

このイメージでもう一度、仏教の究極の目的について考えてみて下さい。

迷いの世界とも言われている六道を永遠に廻りめぐる六道輪廻から解脱し、悟りの世界へ到達すること。<続く>

悟りの世界への誘い!?

前回からの続きです。

迷いの世界とも言われている六道を永遠に廻りめぐる六道輪廻から解脱し悟りの世界へ到達することが仏教の究極の目的です。

一瞬一瞬生まれ変わり六道輪廻を繰り返している私たちは、この悪しきサイクルから解脱することを目指すんです。

悪しきサイクルから抜け出して、一体どんな世界へ? 一体、どんな世界が待っているのでしょうか?

この悟りの世界。「」とか「」とかなんだかいろいろ言われています。でも結局何のことかわからない。わからないものを目指すなんて、ゴールの定まらないマラソンをするみたいに、しんどいのです。

この悟りを目指す道。これまで数多くの修行僧がさまざまな方法で取り組んできました。
一体その総数はどれくらいになるんでしょうね?
とにかく数多くの人たちがこの難関に挑んできたのです。

その様子が、祖師の語録禅語などに関するエピソードなどで、数多く現在に伝えられているのです。
それらのほとんどが、師匠から弟子へ法を伝える真剣勝負の場面なんです。
師匠から弟子への「迷いの世界から悟りの世界への」愛のこもった誘いの物語なんですね。

これから、そんなエピソードを紹介していきます。<続く>



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「誘い(いざない)の物語」

2010.10.16
前回からの続きです。

師匠から弟子への「迷いの世界から悟りの世界への」愛のこもった誘いの物語の紹介です。こんなお話があります。

昔、中国の唐の時代に、曹洞宗の開祖である洞山(とうざん)禅師に一人のが尋ねます。
寒い暑いという苦しみがこの世の中にあるけれど、どのように脱していったらいいのか。」と。

すると洞山禅師が答えて言うには「なぜ寒い暑いのない世界にいかないのか」と言うわけです。

寒い暑いのない世界ってなんでしょう? そんな世界この世の中にあるでしょうか?

当然、僧は洞山禅師に尋ねます。
寒い暑いのない世界とはいったいどういうところですか」と。
そこで洞山禅師は答えます。

寒い時には自分を寒さで殺し、熱い時には自分を熱さで殺せよ

これでこのお話は終了です。いかがですか?
不思議!?なお話ですよね。
禅の語録の中にはこのような話がゴロゴロとしているんです。
このような境地を理解し体得すれば、苦しみが無くなり悟りが開けるということです。

迷いの世界とも言われている六道を永遠に廻りめぐる六道輪廻から解脱し、悟りの世界へ到達することになるんです。<続く>


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