永正寺副住職 中村建岳が、法話を推敲する過程で考えたことや、日頃感じていることなどを、そのまま素直に表現するブログ。

仏教の拠りどころ

2012.5.5new!

仏教は、
もちろん
宗教のひとつです。

ひとくくりに
宗教と言っても、さまざまな宗教ありますし、


それぞれの宗教で、
それぞれの特徴があって、
全部、違っています。


けれども、
仏教は、

他の宗教にはない、
仏教だけの特徴があります。


それは、
宗教とは、「 何かを信じること 」だとすれば、

仏教とは、実は、
「 何も信じない宗教 」なのです。



これについては、以前、
⇒信じない宗教
で書きましたので、宜しければご覧いただければと思います。


その繰り返しになりますが・・・。



人間は、人は、私は、


苦しみに出会ったとき、
悲しみに出会ったとき、

もっと幸せになりたいと願うとき、


どのような解決方法を模索するのか


宗教とは、

「  」のような絶対的なもの。

それを「 信じること 」、
それを「 拠りどころとすること 」、
それに「 すがること 」など、

「 信じる力 」で克服しようとするものです。


そして
その拠りどころとなる「 神のような絶対的 」なものとは、

人間の想像力と願望力が
生み出し作り出した存在でありストーリーです。


ある意味、
人が作り出した、いわば架空の物語を、
そのフィクション性を一片も疑うことのないほどの「 信じる力 」でもって、

苦しみや悲しみを克服し、幸せを願うものなのかもしれません。




ですが、
仏教は違います。


少なくとも、
お釈迦さまが説いた仏教は、

人が生み出した「 架空の物語を拠りどころ 」とするものではありません。



「 なぜ、人は苦しんでしまうのか? 」
「 その原因は何か? 」
「 なぜ、幸せになれないのか? 」
「 こんなに豊かなのに、虚しくてしかたがない 」


「 何故なのか? 」


それを
徹底的に解明しようとするものです。

「 信じること 」が苦しみの原因になるのであれば、
「 信じること 」も捨て去ります。


「 人はなぜ苦しんでしまうのか? 」


いわば、心理学



自然科学の拠りどころが「 現実 」であるように、

仏教の拠りどころも、
ただ「 現実 」のみなのです。



仏教者とは、
ただ「 現実 」を拠りどころに、
苦しみの原因を明らかにして、

そして、

その「 苦しみ 」の克服を目指すものだと思っています。



私自身。このブログ。
そうありたいと思っています。








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想像してみましょう。「無意識」という言葉が無かった時代。

2012.4.27new!
⇒前回からの続きです。


想像してみましょう


ジョン・レノンの「 イマジン♪ 」、
それをパロディーにした芸人ピースのネタではありませんが、

想像することは大切です。


想像してみましょう。

『 「 無意識 」という言葉を知らない私たち。 』




今でこそ、
「 無意識のうちに、うっかり○○してしまった! 」
など、
「 無意識 」という言葉が日常会話で自然に使われています。


あるいは、
無意識潜在意識es本能などの言葉、心理学用語!?なども広く知られています



しかし、
臨済禅師が生きていた時代には、
「 無意識 」という言葉は無かったのです。


想像してみましょう。


義務教育も何もなかった時代!?
私たちがもちろん知っている「 無意識 」という概念が、世の中になかった時代。



臨済禅師自身の中に、もうひとりの自分無意識 を自覚した瞬間の衝撃を


「 何だ! これはっ! 」



文字通り、言葉にならない衝撃を受けたのです。



後に、臨済禅師
「 一無位の真人 」という言葉で、この もうひとりの自分無意識 を表現しています。


ある意味では、
臨済宗とは、この瞬間
「 もうひとりの自分無意識 」の存在の大きさに気付くことを最重要課題とした宗派として誕生しました。


「 一無位の真人 」「 仏性 」「 本来の面目 」など
祖師それぞれによってさまざまな表現方法があるのも、
そもそも「 無意識 」という言葉が無かった、通用していなかったからだとも思います。



ひるがえって現代を生きる私たちは、
当然のように「 無意識 」という言葉を使っていますが、


孫悟空が、お釈迦さまの掌の上で踊っているだけだった!と衝撃を受けるほど大きな絶対的な存在とまでは認識していません。

頭で理解しているつもりだけでもいけません。



「 もうひとりの自分無意識 」という絶対的な存在心の底から気づくこと


臨済禅師の悟りです。
<続く>



※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。


関連シリーズ
⇒「 もうひとりの自分・無意識 」





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